風流人日記

医王整体院 院長のblog

腑に落ちる

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 「腑に落ちる」という言葉があります。納得がいくという意味で使われますが、普通の納得とは少しニュアンスが違いますね。「腑」というのは「考え」や「心」が宿るところです。つまり、「腑に落ちる」は表面的に理解するだけでなく、心の底までが得心するということになります。

 「腑」はまた、「はらわた」とか内蔵という意味でもあります。日本語というものはおもしろいもので、ひとつの漢字にいろんな意味が込められています。

 この「腑」という漢字にも「心」と「身体」両面にまたがった意味があって、これはまさしく昔から日本人は「心」と「身体」を表裏一体のものと考えてきたということでしょう。ですから「腑に落ちる」は英語でいうunderstandよりも、もっと全体的な心と身体の両方での理解の仕方だと思うのです。カラダごと納得すると言えばいいでしょうか。

 実際に「腑に落ちた」瞬間は、カラダに電気が走るというか、パッと目の前に光が射すというか、とにかく全身が喜び充実するのを感じます。そして、ただわかったよ、という程度ではなく、腑に落ちたことは印象が強くいつまでも忘れません。「知る」から「わかる」、「知識」が「知恵」に変わる瞬間といっていいかもしれません。

 「腑に落ちる」瞬間のことを考えると、それはどうも、もともと身体のなかにあったなにかが刺激されるという感覚です。ということは答えはすでに自分のなかにあったということになります。自分では見いだせなかった自分のなかにある答えが、外からの刺激によって目覚める瞬間のような気がします。長年の懸案事項が、あるヒントによって答えと繋がった一瞬かもしれません。

 ですから、「腑に落ちる」つまり「自分に目覚める」ためには、身体も心も開いていなければなりません。自分の外の、なにかを語りかけてくるものを受け入れる準備ができていなければならないということでしょう。

 それには固定観念に縛られず、心あるいは頭の一部を常に解放しておく必要があります。いろんな考え方が出入り自由な隙間をいつも用意しておく、そんな心のゆとりを持っていたいものです。

 心のゆとりを持つには、まずカラダがリラックスしていなければなりません。「腑」という心の空間は、しなやかなカラダから生まれてくるものなのかもしれませんね。

 絶対にこうだと思っていたものも、なにかの拍子に別の考え方に出会って腑に落ちた瞬間、自分の中のそれまでの常識がくつがえることもあります。「腑に落ちる」という体験がどんどん視野を拡げ、心を豊かにやわらかにしていくのではないでしょうか。

 今の時代はモノや情報がとても簡単に手に入ります。でもそれを活かすも殺すも受け取る私たち次第です。簡単に手に入れることができるものは、案外簡単に忘れたり手放したりします。反対に苦労して集めたものはとても大事にし、じっくり味わいます。なにも新しい情報だけが価値があるのではないのです。苦労して手に入れた大切なのものや情報を、繰り返しじっくり味わうところに深い意味での納得があります。

 「腑に落ちる」体験はそう度々ありませんが、「腑に落ちた」ことをじっくり味わい、実際に行動に移すことによってさらに理解が深まって自分のものへと変わっていくのでしょう。

 さて今回のお話、みなさんの腑に落ちましたでしょうか?