風流人日記

医王整体院 院長のblog

ふたつよいこと さてないものよ

 いやぁ、まったく気の許せない一年だった。

 新型コロナの収束も目処が立たない窮屈な状況の中で、これでもかと次々起きる事件に事故に不祥事。

 その一つひとつに驚いたり憤ったりしているうちに、気がつけば今年も終わろうとしている。

 「今年の漢字」がたしか「戦」だったと記憶するが、個人的にも沸き起こる己の感情との「戦」に終始した一年だった。

 怒りや不安といった負の感情が免疫力を低下させることはわかっていたから、できるだけ笑って過ごすよう心がけていたが、それでもやはり怒りの感情のパワーは強力で、鎮火するのは並大抵ではなかった。

 幸い、行き場を見失った彷徨う心を正気に戻してくれることも数え切れないほどあった。そのおかげで免疫力を適切に保つことができて、コロナにも感染せずに済んだのだと思う。

 心の通う人との出会い、対話の中からの気づき、温かい心に沁み入る言葉、偶然にも出会えた美しい風景、心のこもった贈り物、、、。

 それらすべてが健康を保つ力となった。 

 

 苦しいときには、河合隼雄先生の「二つ良いこと、さて無いものよ」という言葉をつぶやきながらやり過ごしてきたが、これは良いことずくめなどということはまずないが、悪いことばかりも続かないことを示唆していると思う。

 世の中は絶妙なバランスの上に成り立っているのである。嫌なことが続いても、それを打ち消す喜びを見つける心の目を持っていれば、なんとか乗り越えられるのではないだろうか。

 先行き不透明、前例のない、答えのない未来を我々は生きていかなければならないが、どんなに科学や情報技術が進歩し便利に簡単に人と人が出会うことができようとも、相手の息づかいを感じる距離での温かい血の通った生(なま)の人間同士の交流に勝る、生きるための力はないと痛感する。

 

 かつてお釈迦さまは亡くなる前に、頼りにしていた師を失うことを不安がる弟子たちにこう言われたそうだ。

「汝自身を拠り所(燈明)にせよ」

「その汝の感じる世界の在り方(法)を拠り所にせよ」

 これが「自燈明、法燈明」という言葉で現代に語り継がれている。

 私はこの言葉を知った時、自らを拠り所にせよと言われてもなあ、こんな頼りない自分なんて当てにしているとロクなことにならないなどと思った。

 しかしお釈迦さまが伝えようとされたのは、拠り所にできるような私、つまり「よく調った自分」になるよう日々努めなさいということだと理解している。

 そのために「瞑想」をしながら自己を調えるわけだが、凡人がそう簡単に悟りをひらくことなどできない。

 わかったようで一番わからない自分を知るには人と交わることだと思う。他人は自分を映す鏡だという。

 出会う人、もの、自然界から自分を知り、自分を調えていきたい。

                

 今年いただいた僥倖の一つひとつを振り返り、感謝しながら、この年を締めくくろうと思う。

 支えてくださった皆さん、本当にありがとうございました。