年に数回思い切り泣きたいことがある。別にその時点でひどく悲しいことがあったとかいうわけではないのだが、きっと日頃辛くても泣けない時の数滴の涙が積み重なって涙袋が満タンになっていたのだろう。
そういう時は、感動的な映画を見て、溜まった涙を流したくなるのだ。
男が人前で涙を見せてはいけない、という法律は多分なかったように思う。
まして今はコロナ禍で、映画館に行くにもマスクは必須アイテムであるから、泣いていてもそうは目立たない。
マスクで顔の殆どを覆われているから、目から溢れた涙はたちまちマスクで隠れた頬を流れ落ちるのだ。とても都合がいい。
いくら泣くことを法律で禁じられてはいないといっても、やはりいいオッサンが人前で泣くのは憚れるのだ。
そんなわけで、これはチャンスとばかり感動的映画のハシゴをした(昨年の話ですが。
一つは菅田将暉さん主演の「糸」。まあこの手の恋愛もの映画をおっちゃん一人で観るのは、涙を流すこと以上に恥ずかしいことでもあるのだが、この際である。
これも顔がバレにくいマスクのお力を拝借して、意外と堂々と入場できた。
そして映画が始まるや否や、ものの10分ほどでもう大粒の涙が溢れてきた。
ここで中島みゆきのあの名曲「糸」が流れたかどうかは忘れてしまったが、ともかくこの歌も大好きで、これを聴くだけでも泣けるのである。
年とって涙腺が緩んだせいもあるが、何かこの頃、誰かの苦労話を聞いたり、心に響く音楽を聴いたり、温かい親切に触れたりするなど、ちょっと感動的なことがあるとすぐに目頭が熱くなるのだ。
まあ今日はその溜まった涙の排出のために来たのだからと、照明の落ちた映画館でマスクで顔のほとんどを隠したおっちゃんは、誰に憚ることなく涙くんの好きにさせたのであった。
もう一つは、ウルグアイの元大統領であるホセ・ムヒカさんのことを扱ったもので、「世界で一番貧乏な大統領から、日本人へ」というタイトルの映画だ。
これは恋愛ものでもなんでもないが、ムヒカさんの生き方と、その体験から生まれた言葉の一つ一つが、ぐっと胸を打つのだ。
長いこと日本の腐敗した政治を見せつけられてきた身からすると、まだ世界にはこんなに純粋で私利私欲を捨てた熱血漢がいるのだ、と驚くとともに勇気付けられた。
人々の幸福のために尽力した人を描いたこの映画も、別の見方をすれば「恋」ではないが、「愛」をテーマにしたものと言えるかもしれないない。
いいおっちゃんが恥ずかしげもなく「愛」などと叫ばせてもらうが、ぼくは「愛」のない人は信用しないことにしているのだ。
それはどんな分野で生きている人にでもそうであって、言っておくが、政治家も「愛」を感じられない人にはこれまで一票も投じたことはない(でも残念ながら「愛」を感じて一票を投じた候補者はたいてい落選している、とほほ・・・。そのことも涙が溜まる原因かもしれない)。
もう少し涙の原因を深く探ってみてわかったことがある。
感動の涙や嬉し泣きは、だいたいその時点ですぐに出るが、厄介なのは悔し涙である。嬉し涙は所構わず溢れ出るが、悔し涙は「泣いてたまるか」とつい堪えてしまうのだ。
腐敗政治と新型コロナに耐えた昨年、映画で大泣きした理由を、これでおわかりでしょうか。