風流人日記

医王整体院 院長のblog

へいわって すてきだね

 へいわってなにかな。

 ぼくは、かんがえたよ。

 おともだちと なかよし。

 かぞくが げんき。

 えがおで あそぶ。

 ねこが わらう。

 おなかが いっぱい。

 やぎが のんびり あるいてる。

 けんかしても すぐ なかなおり。

 ちょうめいそうが たくさん はえ

 よなぐにうまが、ヒヒーンと なく。

 みなとには、フェリーが とまっていて、

 うみには、かめやかじきが およいでいる。

 

 やさしいこころが にじになる。

 へいわっていいね。

 へいわってうれしいね。

 みんなのこころから、

 へいわがうまれるんだね。

 せんそうは、おそろしい。

 「ドドーン、ドカーン。」

 ばくだんがおちてくる こわいおと。

 おなかがすいて、くるしむこども。

 かぞくが しんでしまって なくひとたち。

 ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。

 このへいわが、ずっとつづいてほしい。

 みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい。

 へいわなかぞく、へいわながっこう

 へいわな よなぐにじま、へいわな おきなわ

 へいわな せかい、

 へいわって すてきだね。

 これからも、ずっと へいわが つづくように

 ぼくも、ぼくのできることから がんばるよ。

 

 

 当時小学一年生の沖縄の安里有生少年が書いたこの詩に心を動かされて絵本を作った絵本作家の長谷川義史さんの言葉と行動が、今度は私の胸に響く。

 「いかなる理由があるにせよ、人々を殺し、傷つけることは まちがいです。平和のために戦いに行くなんて、そんなことから平和は生まれへんねん。」

 

 

 戦争というのは、ほとんどの場合、自衛という名目で始まるらしい。どこかの国が攻めてくる、じっとしていてはやられてしまう。だから守らなければならない。

 その懐疑心はどこから生まれるのだろう。

 他人の心はわからない。まして他国の思いを知ることはとても難しい。しかしどこの国のリーダーも一人の人間だ。

 同じ人間として互いを信頼することは、日頃から対話を重ねることでしか生まれない。

 考え方、生き方の違いは必ずある。違いを超え、互いの思いを尊重するためには、分かろうとする不断の努力が必要だ。下手をすると私利私欲の塊となる「自分」という枠組みを緩めることでしか、互いを理解することなどできない。

 

 安里少年のような邪念のない心を、人はいつどんな理由で失ってしまうのだろう。

 誰もが自分は可愛い。でもその可愛い自分を前面に押し立てていては、人との関係は決してうまくいかない。

 人間は弱いだ動物だ。一人では身を守ることができない。他者と協力しながらでしか生きられない運命にある。

 そのとき、自分を抑えて一歩譲る気持ちがなければうまくはいかない。相手の立場や思いを汲み取る必要があるのだ。

 ええ格好でもきれいごとでもない。そうしなければ人と人はうまくやっていけないのだ。そう思う。

 誰もが平和を望んでいると思う。でもそれは簡単ではない。

 なぜか、自分が可愛いからだ。可愛い自分をいつまでも平和な世界に身を置きたいのなら、そんな可愛い自分の欲望を少し抑えなければならないという矛盾がある。

 「みんなのこころから、へいわがうまれるんだね」

 安里少年は、幼い心でそれをわかっていたのだと思う。

 

 今から78年前の今日、一発の原子爆弾により、十数万ともいわれる貴い命が失われました。 核兵器によってもたらされた広島、長崎の惨禍は決して繰り返してはなりません。我が国は引き続き非核三原則を堅持しながら、唯一の戦争被爆国として「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けます。

 これは今年の終戦記念日に岸田首相が話した言葉だが、ここに他者を思いやる気持ちを私は何も感じない。こんな上辺だけの言葉で平和を築くことはできないと思う。

 いったい自分には何ができるだろう。

 そんなことを、ことさら暑い今年の夏も考え続けている。