
歳を取る毎に当然のことながら記憶は蓄積されていきます。それは大切な思い出からどうでもいい事まで含めると膨大な量です。
とてもじゃないが全てを覚えていることなどできません。実際には脳のどこかには収まっているのでしょうが、奥まった所にあるものはなかなか引っ張り出すのが大変で、思い出そうとしても俄には出てきません。
何度も繰り返し同じ情報が脳に入ると、記憶が収まった抽斗が大きく膨らんで目立つようになって、思い出すのが容易くなるようです。しかし、その情報が正しい場合は良いとして、間違った情報あるいは正しい情報であってもその解釈や受け止め方が間違っていたとすると、少しまずいことになります。それが世間で言う「思い込み」というものじゃないかでしょうか。
「思い込み」は「勘違い」と言われることもあるように、世間ではあまり評判が良くありません。
それはただの君の「思い込み」だろう、などと。
「思い込み」でものを言ったり行動して失敗することはよくあることです。「思い込み」を捨てて曇りのない目でものを見なさいなどともよく言われます。
自分が正しいと思い込んでいたことが、何かをきっかけに間違っていたことを知る時がありますね。過去に意見の食い違いで気まずい思いをして、以来その人との関係に溝が入り、それだけのことでその人はこういう人だという固定観念が生まれて、距離を置いてしまうこともあります。 それがある時、偶然に再会したその人から思いもよらない言葉を聞いて、自分の「思い込み」を恥じるということもよくあることです。
いろんな見方ができるのに一つの考えに固定してしまうのは残念なことだと思います。でもありのままにものを見たり解釈を多様に柔軟にすることは難しいことだし、一度できた「思い込み」を捨てるのは簡単ではありません。
歳を取ると人の名前が出てこなかったり大事なことが思い出せなかったりしますね。物忘れは加齢とともに酷くなりますが、どうせ忘れるなら間違った「思い込み」の方を忘れてしまえたら良いのになあ、と思うのです。
「思い込み」というヤツはなかなか頑固なものですが、老いの物忘れの力を利用すると、思い込みで埋まっていた脳の一部が抜け落ちて余白ができ、その余白にまだ知らない良い話や新しい素敵な記憶を入れたり、その空いた隙間をゆとりある対応力として使えるのではないでしょうか。
良い呼吸はできるだけゆっくり長く吐くことだと思っています。古い空気を全部吐き切ることによって新鮮な空気をいっぱい身体に受け入れることができるからです。
「思い込み」を捨てることも息を吐くことと同じで、捨ててできた余白にはきっと新鮮な空気のようなありのままの真実を受け入れることができます。溜まった空気と「思い込み」を息を吐くたび捨てて行けば、気の滞りのない良い気に満ちた元気な身体になるんじゃないでしょうか。
それには「自分」というものをあまり強固な枠で囲わず、さまざまなことを受け入れられる風通しの良い余裕のある柔軟な心身にしておくことが大切だと思います。
ことに最近ではインターネット上で「思い込み」を起こし易い情報が溢れています。一度何かを検索すると、それに関連する記事が頼みもしないのに次々と表れる。何かをネットショッピングすれば、次々類似商品が紹介される。またSNS上で多くの人が言っていると、それが真実だと思ってしまう。
ネット空間は「思い込み」と「こだわり」を植え付けるマシーンのようなものでもあると思います。気をつけないと知らないうちに「思い込み」で頭はいっぱいになってしまいます。
現実社会でさえ情報の真偽を確かめるのは難しいことですが、それ以上にビッグデータから巧みに練られたネット上の情報を上手に篩(ふるい)にかけるのは容易いことではありません。すべてが悪意ある情報だとは言いませんが、長時間ネットの世界に居続けることは避け、必要な時だけ利用する習慣を身に付けておかないと、底なしの「思い込み沼」にハマってしまいます。
身体を持たないAI(人工知能)の進化は恐ろしいほどのスピードで進んでいますが、生身の体を持つ我々には肉体のペースというものがあるはずです。
ゆっくり座って深呼吸する時間を作りましょう。
そして一旦立ち止まってゆっくり考える時間を持ちましょう。



