
やっぱり何かをしながらスマホに気を取られるのは良いことではないと思う。
例えば歩きスマホ、自動車や自転車を運転しながらのスマホ。これはもう誰が見ても危険この上ない。道を歩いていてヒヤッとさせられることは日常茶飯事だ。そんな「ながらスマホ」だけでなく、四六時中スマホを手にするのはどうか。
スマホというものはちょうど手のひらに収まるくらいの大きさと重さで、ノートサイズのパソコンと比べてもとても手軽で便利ものだから、何かをしながらでも使えてしまう困った道具なのだ。
で、何が良くないかというと、例えば食事をしているとき、ついつい気になることを調べてみたり、LINEの返事を書いたり、動画を見たりすることはよくあると思うが、それでは人が生きるために行う行為に集中できないと思うのだ。
つまり、食事を味わい楽しむことが疎かになるし、消化吸収に使うエネルギーまで不足する。
なぜ生きるための行為に集中しなければならないのかというと、それが味わうことの喜びを感じたり、今日はあまり食欲がないとか、自分の今の身体の状態を確認する大事なことだからだ。
そんなふうに日々自分の身体の状態を観察しながら生きていれば、わざわざ検査などしなくてもそこそこ健康かどうかが分かるはずだ。それをせずに私は定期的に健康診断に行っているから大丈夫と人任せにするのはちょっと違うと思うのだ。
また、スマホでせっせと健康に関する情報を集めるよりも、常に自分の生きる行為を観察している方が役に立つはずだ。
忙しいから時間をかけてそんなことをしている余裕なんてないなどと言っていると、本来備わっている自然の治癒力や身体能力はますます衰えてゆく。確かなものは「いま・ここ」にしかない。
せめて食べている間くらい味わい・喜びを感じることに集中すればどうだろうか。
スマホで調べると即座に何でも知ることができるし、AIに聞けばやさしく教えてくれる。そんな便利な時代になった。戦後10年生まれの私にとってはSFで読んではいても、それがまさか生きている内に実現するとは想像もしなかった科学の進歩である。生まれた時からそんな便利なものがある環境で育った若い人たちは、便利なデジタルツールをうまく使いこなしているように見える。しかし、まだまだ我々はその正しい使い方を知らないし、AIに聞く前に自分の身体に問うことも忘れてはいけない。
人は一度便利なものを知ると、ついついそれに頼ってしまう。それまで自分の頭で考え、身体を使って養ってきた知恵と身体能力を使わなくなると、当然それらは衰えてしまう。
人間は外部からの様々な情報を五感を通じて感じとり、考え、行動を(時には反射的に)起こす。その情報伝達の最先端である「五感で感じること」のうち、身体の内部感覚は、他の視覚・聴覚・嗅覚・味覚に比べると、より丁寧に時間をかけなければ正しく知ることが難しいかもしれない。また五感全ての情報は、それを補うようにスマートな機器に頼ろうとすればするほど、衰えざるを得ないと思う。そして自らの五感からの情報を「判断し考える」ことさえ人工知能に頼っていると、人間の生きるという営みはどう変わるのか、AIに支配されないか、生命活動にとって人工知能は必要なのか、自然界への影響はどうなのかなど、いろいろ心配になる。そんな心配が杞憂であればいいのだが、人工知能にはない第六感と言われる直感やひらめきは、おそらく人間からもますます失われる気がしてならない。人間の「AIロボット化」が恐ろしい。
便利なものがあるのに使わないなんて勿体無いというご意見は当然あると思うが、要は使い方の問題でしょう。これからの時代を生きる人たちには、ぜひ上手に便利なものを利用し、新しい時代を築いていってほしいと思う。
そして時にはスマホを置いて、人工知能が足元にも及ばない大自然の中に身を置き、その偉大さと、自然の一部である人間の内に秘められた能力を生で感じてほしい。



