風流人日記

医王整体院 院長のblog

ウイルスは敵か?

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 もう新型コロナの流行は終わったのかと思うほど、テレビは毎日自民党総裁選の話題で埋め尽くされています。たしか麻生副総理は「曲がりなりにも収束して、国際社会の中で評価が極めて高いと思います」と発言していました。こういう「偉い人」にとってコロナなどというものは何もそれほど大騒ぎをするものではない、仮に感染してもすぐに入院できて、適切な処置によってすぐさま回復できるようになっているのかどうか、私は総理にも財務大臣にもなったことがないのでわかりません。

 ここへきて有効な治療法が次々と開発され、早期に診断し治療すれば重症に陥ることは少なくなっているようですが、検査体制と早期の入院・治療体制が十分とは言えない現状でのこの発言は、同じ日本という国に住む一人として見た場合、現実を捉える感覚があまりにもかけ離れていることに驚愕します。

 実際には未だ収束の見込みが立っていないというのが一般的な見方ではないでしょうか。

 

 新型コロナウイルスが次々と変異を繰り返し感染力を強めていくのを見ていると、ワクチンでウィルスを封じ込めるというやり方、つまり敵を徹底的に叩き潰すようなやり方が本当に正しいのかという気がしてきました。これだけ全世界で爆発的に広がる脅威を治めるにはそれしか方法がなかったのかもしれませんが、このワクチン一辺倒のやり方は、早期発見・早期治療のための検査・医療体制の不備を棚上げし、政策の失敗を覆い隠すための最終兵器の使用に見えます。 今からでも遅くありません。次の第6波に向けて早急に検査・医療体制を立て直して欲しいものです。

 

 そしてもう一つ指摘したいのは、そのやり方は何がなんでも自分たち人間の命を守る(その人間の中でも上級国民と呼ばれる一部の選ばれた人たちだけが優先的に守られる)ことが第一で、他の生物の命は二の次という考えに他ならないところです。

 地球上のどの種も生き延び保存される権利(あるいは法則)があるにも関わらず、命に順序をつけているのは人間だけではないでしょうか。かと言って、80億にまで個体数を増やした人類の一つひとつの命をみすみす諦めることなどできません。

 それならば、せっかくここまで頭脳を発達させ知恵をつけた人類にできることは、自分たちの命も大切にしながら、同時に地球全体の環境保全と個々の命に思いを馳せることではないでしょうか?

 

 ウイルスは人の行動を写す鏡のようなものであるとも言われています。コロナによって変わってしまった日常を生きながらこれからの社会がどうあるべきかを考えると、このパンデミックはこれまでの「当たり前」を疑い、暮らし方を見直す大きなチャンスではないかと思います。

 経済成長・社会の発展のために当たり前のように行われてきた未開の土地や森林を乱開発するような環境破壊が、新たなウイルスを人の社会に持ち込む原因の一つでもあるようです。コロナ以前と同じような社会のシステムの中で、同じような暮らしを続けていると、新たなウイルスが次々人間社会に入り込むだけでなく、地球環境の破壊は止まりません。もう従来の社会システムは限界にきている気がします。

 専門家の見方では、2019年以前の生活に戻るのは難しいといいます。ここは以前の生活にそのまま戻ることを考えるのではなく、地球上の多様な生き物と共存し(実際に我々の体の中には無数のウイルスが棲みついています。つまりウイルスと共棲しているのです)、できるだけ環境を壊さない生活に変えていく時ではないでしょうか。

 

 世界は人間だけに都合の良いようにはできていないのです。人間が自分たちのために勝手に作り上げたシステムが地球というより高次のシステムとバランスが取れなくなった時、それを修復するために様々な形で変化が起こるのだと思います。その一つが今回の新型コロナウイルスによるパンデミックかもしれません。

 そのための一つの解決策として、「脱成長コミュニズム」という思想がじわりじわりと社会に浸透してきているようです。

 その件はまた別の機会に取り上げたいと思います。

 

 

あとがき

 いいえ、別にコロナの肩を持つわけじゃありませんし、ワクチンが絶対ダメということを言いたいのではありません。私とて感染して辛い思いはしたくありません。

 今度の新型コロナウイルスについては専門家でさえ分からないことが多く、様々な考え方があってしかるべきだと思います。そんな中、素人考えではありますが、私の思いを綴らせていただきました。

 本来ウイルスは自然界に古くから存在するもので、その歴史は人類の比ではありません。人類が後からウイルスが存在する世界に出現できたのは、それらに適応する能力を得たからでしょう。

 それならば生得的な免疫機能を存分に発揮できれば、ウイルスとも共存できるはずです。にもかかわらず人間がその自然免疫を過小評価し、ウイルスと戦う姿勢を示すと、ウイルスも自己保存のために本来と違った能力を身につけざるをえない。これは他民族との紛争や、思想・宗教の違いからくる戦争を連想させます。

 つまり人類が保身のために不自然な力(ワクチンや核兵器)を行使することによって、小競り合いで済むものを終わりのない戦争にしてしまうのは、人間の傲慢さの表れではないでしょうか。

 こんなふうに、正解のわからないウイルスとの対峙の仕方を、少し別の角度から考えてみました。皆さんはどう思われますか?