柳のように
お正月、年の初めには静かに行く年を振り返り、来る年をどう過ごすかべきかと、何か立派な誓いを立てなければならないと思う人は多いと思います。
そういう自分も、今年は何か新しいことに挑戦してみようとか、どんな年にしようかと、毎年考えています。
さて今年はどうしようかと考えてはみますが、なかなか名案は浮かびません。
そうだ! 今年は何をというより、むしろ何も決めない、固い決意はしない、という
ことにしようと思いました。
だって、まさに去年がそうだったように、せっかく年の初めに立派な誓いを立てても、新型ウイルスの出現で何もかもが水泡に帰すというようなこともあるのですから。
一寸先のことは誰もわからないのです。
それならば、具体的な「これ」は決めず、遭遇する「あれ」にも「それ」にも対応できる柔軟な心と体で予期せぬ出来事に備えるほうが大事だと思うのです。
あまりに意志が固すぎるとそうはいきません。
あっちにもこっちにも揺れ動きながら、ある時は真正面から対峙したり、ある時は上手にかわしながら生きていく他ないのではないかと、コロナがそう教えてくれた気がします。
しかし、出来事にただ翻弄されているだけでは能がないし、第一疲れてしまう。
揺さぶられてあらぬ方向へ流されてしまっても、軌道修正する力は必要です。
そうだ! それこそが去年の年始に誓った「風流に生きる」ではないか!
(せっかくいい誓いを立てたのに、一年立てば忘れてしまっている自分が情けないが、まあそれも風流、風流。)
柳のように、どんな風に吹かれても、枝葉は揺れるが、地中の根はしっかりと大地をつかみ動じることはない。
「気にくわぬ 風もあろうに 柳かな」
そんな柳を、今年もまた手本として生きていきたいと思います。
最近は「ブレない」ことがとてもいいことみたいに言われますが、状況がどんなに変わっても押し通すというのはちょっと間違っていて、昨年来の政府の新型コロナへの対応を見てもよくわかります。大切なのは変化に柔軟に対応することで、自分の主張を自分を守るために貫いていると、なぜ状況が変わったのにやり続ける必要があるのかと問われた時、嘘をつかなければならなくなってしまいます。
一度決めたら意地でも止めない「東京オリンピック」や「Go To キャンペーン」のようなやり方では、これから先の大きく変わろうとしている世の中には対応できないのではないでしょうか。
千手観音や十一面観音でお馴染みの観世音菩薩という、救いの求めに応じて姿を現す菩薩がいます。
今ここに応じる、それぞれの人の求めに大いに応じる。それこそが、どこのお寺にも祀られ、宗派を超えて愛される観音さまの「応化力(相手に応じて変化する力)」です。
激変するかもしれない明日、確かな雛形のない未来を生き抜くには、頑なに意地を張るよりも、そんな自在な「応化力」こそが大切なのだと思います。
私にとって柳は、そんなしなやかな観音さまの姿を象徴しているように見えます。