風流人日記

医王整体院 院長のblog

遠い国戦争から学ぶこと

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 人を信用するか、しないか。これはその人が過去にどれだけ人に裏切られたか、その体験の数によって左右されるのでしょうか。

 他人を信用すると大変な目に遭うという体験が多いほど人は疑心暗鬼に陥り、自己防衛のために強固な殻を作ります。そして常に相手を監視し続け、不穏な動きがあればたちまち臨戦体制に入る。

 そんなことを繰り返していれば、心休まる暇などありませんね。

 でもロシアの歴史はそんなことの繰り返しだったのかもしれません。

 いくらこちらが努力して信頼関係を築こうとしても、相手もそういう気でいるかどうかはわかりません。

 ではどうすればそんな疑心に満ちた相手を信頼関係を結ぶ気にさせられるか?

 一人の人と人との関係においてもこんな難しい問題が常に存在するというのに、より複雑な国同士の付き合いとなると、想像を絶する難しさがあります。何よりその前にたとえ同じ国の中であっても、大小の揉め事はいつだって絶えることがないのですから。

 そんな困難を乗り越えて国内国外ともに上手な付き合いをし、平和な国民生活を維持することが政治家の最も大事な仕事だと思いますが、過去を見ても昨今においても、なかなか賢く問題解決ができる政治家は多くはありません。大半の政治家は自分の権威と権力の座を守ることに汲々としているだけです。

 では、平和を維持し続けてきた国家は、どうやってそれを実現できたのでしょうか?

 それはやはり、才能豊かなリーダーや政治家の存在だけではなく、国民一人ひとりの意識の違いだと思います。もちろん善良な国民の意思を纏める力のある政治家がいることは理想ですが、自分たちの力によって平和を守り平和を享受できた実績を持つ民族は、自分たちで考え、強い意思を示すことが何より大切な国の資源だと考えていると思います。

 政治は政治家に任せてしまうものではなく、自分たちのもの、自分たちが不断の努力を続けなければ平和を守れないことを知っています。

 

 ロシアによるウクライナ侵攻が始まって一ヶ月が過ぎました。

 遠く離れた場所からできることといえば、一刻も早く戦争が終わることをひたすら祈るくらいしか思いつかないのはとても辛いことです。

 われわれ一般市民がウクライナのためにできることは祈ることしかないとしても、逆にこの戦争から教わることは多かったと思います。

 その間、日々様々なことを考え続けたましたが、一つだけ確かなことだと思ったのは、平和な(と思い込んでいる?)日本も、いつ戦争に巻き込まれるかも知れないという不安定さです。

 だから今できることは、ウクライナへの平和の祈りと共に、自分たちのそんな不安定な状況を少しでも安定させるために、もう一度過去の戦争を思い起こし、なぜあんなことになったのかを深く反省することだと思いました。時代は変わったと言っても、現にロシアは20世紀と同じような戦争を繰り返しているのですから。

 

一番肝心なことは、ああいう状態を放置し長引かせてはならないということです。

 ああいう状態とは、権力を握った者が何でも好きなように物事を動かせること。そして、それに反論すると容赦なく叩き潰される体制です。

 こんな状態が長く続くと、人々は権力の支配と同時に、自分たちの内の諦めの気持ちに支配されてしまいます。

 そして何か重大な出来事が起きたときには、これはいけないと思っても最早誰にも止められなくなっているのです。諦めや無関心は服従しているのと同じで、暴走を許してしまうことになります。

 強いものに逆らってはいけない、強いものに擦り寄ってさえいれば安住できる、と考えることがいかに危険かを過去の日本の戦争でもプーチンの戦争でも思い知らされました。

 「ああいう状態」とは、何も過去の日本やロシアのことだけを言っているのではありません。よく考えなければならないのは、むしろこの度の戦争を対岸の火事のように見ている今の日本という国の現状です。

 あろうことか、この混乱にまみれて核の共有とか軍備を拡大せよと声高に主張する人がいることには驚きます。

 

 この10年ほどの日本の政治はどうだったでしょう。表面的には平和な民主主義国家に見えても、実際の中身は、ロシアほどではないとはいえ、政治の世界でもマスコミを見ても権力への「忖度」ばかりがまかり通るとても風通しの悪い窮屈な状況だと私は見ています。

  データの改竄、情報の隠蔽など、大切なこと本当のことが伝えられないところは、その大小強弱の違いはあっても、情報統制されたロシアと基本は変わりません。

 ロシアの現状を見ながら考えなければならないことは、政治を他人任せにせず、何ごとも自分の問題として諦めずに意見を言い、政治の動きを監視し続けることではないでしょうか。間違いは間違いと言わなければなりません。マスコミが言わないなら、私たち市民が声を上げなければなりません。民主主義国家だから大丈夫なんていう安易な考えは捨てなければなりません。民主主義は誰かが守ってくれるのではありません。国民一人ひとりの意識と行動によって成り立つものです。

 言論の自由を奪われたロシアの人たちを想うと、自由にものを言えないことがどれだけ辛いことかと想像します。たとえその意見が通らなくても、発言できること、そして聴いてもらえることは幸せなことです。この自由を守り通さなければなりません

 またあのガンジーが言った、「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。 それをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」という言葉を忘れないようにしたいと思います。