風流人日記

医王整体院 院長のblog

常識の壁と身体感覚

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 世の中には「常識」と呼ばれる“怪物”が住んでいます。

 あたかもそれが普通であり当たり前のことであるように思われていて、それが欠ける人は「常識はずれ」とされます。だから私たちは人から変人扱いされたり非常識な人間と思われるのがいやで、どうしても常識に縛られてしまいます。

 でもちょっと待っていただきたいのです。いつでもただ常識だからという理由だけで深く考えずにそれに従っていていいのでしょうか? 江戸時代に常識と言われていたことがすべて今の時代に通用しますか? 

 常識はその時代によって変わっていくものです。数々の転換期を乗り越えて書き換えられていくものなのです。そして真実は生き残るのです。まさに常識は常に動き、姿形を変える”生き物”です。

 ではその常識を塗り替える原動力とはなんでしょうか?

 それを考える前にまず私たちはなぜ常識にとらわれるのかを考えてみましょう。

 まず先ほど書いた「世間の目」というものが大きいのは確かですね。誰もが「常識はずれ」と呼ばれたくないのです。常識人でいたいのです。

 なぜ常識にとらわれるのかを考える上でもうひとつ大事なこと、それは頭だけで考えるからそうなるということです。人がこう言っているとか、テレビで言ってたからとか、自分のカラダを使って考えるのではなく、他人の頭を借りて考えているだけなのです。今はあまりにも情報が多いですから、自分で判断しきれずに他の大勢の人を真似たり頼ってしまうのは仕方がないかもしれません。

 しかし、常識が塗り変わるのはだいたい少数の人の「気づき」からです。これはなにかおかしい。どうも腑に落ちない。そんな少数派の人たちの身体感覚がより正しいことへの飽くなき追求につながるのです。

 それをすると頭が痛くなるとかどうも気が進まないとか、カラダが拒否反応を示しているにもかかわらず、常識だからとついそれに流され、突き進んでしまう。理屈では確かにそうかもしれないけど、どうも腑に落ちないということがたくさんあると思います。「腑に落ちる」というのはまさに身体感覚です。世間の常識と自分自身の身体感覚にズレが生じているにもかかわらず、常識のほうに従わざるを得ない状況を世間が造り出しているのが現代社会の実情ではないでしょうか?

 ちょっと話はそれますが、私はそんなことも関係して、今の社会ではイジメの問題や、うつ病や適合障害の人が激増するなど、様々な異変が起きているのではないかという気がしています。

 また、常識と言われるもののなかには、一部の人の都合が良いように虚偽の常識が作り上げられていることもあります。騙されたりしないためには、常識とされることもまずは疑ってみる。そして、テレビのハナシやインターネットの情報はちょっと横に置いて、自分の身体感覚を大事にしてカラダ全部を使って感じ・考えてみることが大切なのではないでしょうか。

 いつも例にあげる腰痛に対する考え方や、糖質制限食、新しい傷の治療なども、まず常識とされていた従来の治療法に対する疑問からスタートしています。そのほかにもこれまでの常識を覆す出来事や発見が常にあるわけですが、そのどれもが従来の常識にとらわれず、透き通った目で現実を見つめるところからスタートしています。いつまでも常識にしがみついたり常識をなぞっているだけでは道は開けません。

 頭を使って考えることも大切ですが、人間の考えは時に過ちも起こします。それに比べて余計な先入観に左右されない純粋なカラダの感覚は、人間として生きていく上でまず間違いないと思います。カラダは真実を知っていると私は思っています。

 常識を丸呑みしたり最新情報を闇雲に仕入れるよりも、まず自分の身体感覚を磨き、判断力をつけることがまず大事だと思います。

 以上、ちょっと疑い深い常識人からのご提案ですが、あなたはこの話も疑ってみますか?