風流人日記

医王整体院 院長のblog

きょうもおまかせ定食

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 いつになく長く厳しかった今年の夏もようやく終わり、待望の食欲の秋です。と言ってもほとんど年中食欲が衰えることのない私ですが、今回は食べる話から始めます。

 私ははっきり言って横着者です。なるべくなら積極的に自分で物事を決めず、成り行き任せにすることがほとんどです。たとえば今日のお昼は何を食べるか?という究極の(?)選択をする場合でも、あまり深く考えず、ぱっと目に入ってきたうどん屋さんの暖簾を見て飛び込んだりします。美味しいかどうか、店がきれいか汚いかも関係なし。直感的にここだと決めて入ります(値段が高そうかどうかだけはちょっと気にしますが、、、)。

 メニューを見て注文する時も、「日替わり定食」とか「本日のおすすめ」のような、どちらかというと「あなた任せ」的なものを選びます。

 家でもそうです。「今日は何が食べたい?」と訊かれることがよくありますが、たいていは「なんでもいいよ」と答えます。私はこれは「あなたのやりやすい、都合のいいものでいいですよ」という、とても親切で優等生的な答えだと思っていますが、尋ねた人からすると一番困る回答でしょうね。

 まあそんな調子ですから、優柔不断と言われても仕方ありません。でも私はお任せした限りは、出された料理にケチをつけたり文句を言うことはしません。なんでも美味しくいただきます。期待どおりの一品が出てきた時の喜びは格別ですが、予期しない料理が出てきたり、一風変わったものを出されても、「おお、めずらしいな」とか「これはおもしろいなあ」と思いながら楽しんでいただきます。美味しくないものが出てきた時ですか?その時はあきらめてただ腹を膨らますことに専念します(笑い)。

 こんなふうに偶然の出会いとかご縁というものを楽しむようになると、ワクワクすることが多くなり、生活全体が活き活きとしてくる気がします。

 心理学者グラッサー博士の「選択理論」というものがあります。人はみな、すべてのことを選択しているというのです。自分を幸福にすることから不幸にすることまですべてを。たとえば、あの人とはどうもうまくいかない、憎くて仕方がない、という場合でも、うまくいかないことを自分で選択している、憎むという行為を自ら選択しているというのです。うまくいく方法があるのに、そちらの方法をとらずに、上手くいかないほうを選択しているというわけです。

 先に書いた食べるものを決める時の話でも、自分ではなにも決めずにただ成り行きに任せているようにみえますが、実は「自分で決めないという選択」をしているということです。

 私はなぜそちらの選択をするかというと、そちらのほうが楽しいからです。なにに出会えるかと考えただけでワクワクします。そしてなにごとも楽しんでしたほうが結果的にうまくいくことが多いとわかったからです。あまりにもきめ細かく決めてしまうと、身動きが取れなくなってしまいます。ものごとはすべてが計画どおりにはいきませんね。私は事前に決めたことをなにがなんでも押し通すよりも、その時その場で感じたことを大切にして、つねに選択の幅を広く持ち、その都度計画を変更して別の選択をしていきます。そこにどんな素敵な出会いや発見が待っているかわかりません。

 計画どおりに物事が運ぶのはそれはそれで気分のいいものです。しかし計画以上のことは起こりません。いや、面白いことが起ころうとしているのに、計画にこだわるばかりにそれを見ずにやり過ごしてしまうことになります。ところが、計画にこだわらず、瞬間瞬間に起きることにその都度反応していると、結局別のところへたどり着くかもしれませんが、なにか得した気分になるということもあります。

 だいたい自分の選択というものはしだいにパターン化してきます。うどん屋に入れば、ついいつもと同じきつねうどんを頼んでしまうものなのです。いや、きつねうどんが悪いといっているんじゃありませんよ。私もきつねうどんは好きですが、せっかくならまだ食べたことの無いものを食べてみたいのです。だから私は新しい味との出会いを求めて、板長のおすすめ料理を選びます。一番料理のこと、お客が喜ぶ味を知っているその道のプロを信じてみるのです。