風流人日記

医王整体院 院長のblog

鳥になった沙羅ちゃん

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 平昌オリンピックもたけなわです。みなさん連日テレビにかぶりついて贔屓の選手を応援しておられることでしょう。

 私も何人か、注目している選手がいます。その共通点は「一生懸命」なところです。オリンピックに出るような選手ですから、誰もが一生懸命なことには違いないと思いますが、ひたむきに一生懸命練習して実力は十分あるのだけれどなぜか勝てない、という選手を特に応援したくなるのです。

 ですからそんな選手を見ていると、周りの過剰な期待が重圧になっているようで、期待するのは勝手だがもう少し静かに見守ってあげられないのかなどと勝手ながら思ってしまうのです。

 そんな重圧をはねのけてこそ一流の選手だ、と言うのは簡単ですが、考えてもみてください。まだ二十歳そこそこの選手ですよ。自分が同じ年頃の時どうだったかを思うと、私など恥ずかしくてとても言えません。いやいくつになっても人間なんて弱いものだと思います。

 

 前回のソチオリンピックで、多くの期待を集め、力はありながらもメダルを逃し涙を流した高梨沙羅さんは、次のオリンピックを目指して精神力を鍛えるために瞑想をするようになったと言っていました。瞑想は単に宗教的な儀式ではなく、いまや様々な分野の人たちが取り入れている心を整えるためにとても有効な手段だと思います。

 高梨沙羅さんは重圧に負けないようにと取り入れた瞑想をする中で、おそらく「あるがままでいい」ということに気づいたのではないかと私は思います。つまり、多くの人の期待に応えてなんとかメダルを取るためにと、自分の実力以上のものを出そうと力んでいたことに気づき、今の自分にできることを精一杯やるだけでいいのだという気持ちになれたのではないかと思うのです。むしろその方が自由に体が動いて、最大の力を発揮できるということに気づけば、飛ぶことだけに集中できます。それこそ瞑想が目指す自分の心と体を「いまここ」に一致させるということです。ちょっと大げさに言えば、空飛ぶ鳥になりきるということです。

 そいういう意味では、実力を発揮するために邪魔をしているのは、周囲の期待そのものではなく、それを感じる自分が「私」という意識を大きく膨らませすぎたということになります。

 

 昨年末に娘が初めての子を産み、しばらく赤ん坊と過ごす時間を得ました。孫は目に入れても痛くないほど可愛いと言いますが、観察好きの私は、この可愛さはどこから来るのだろうなどと考えながら、(目に入れてしまうと見えなくなるので)目には入れたりせず、生まれたての幼子と接していました。

 当たり前の話ですが、赤ちゃんは自分の実力以上のものを発揮しようなどとは考えません。背伸びをしない(手足を伸ばす運動はします)、力まない(ウンチの時はちょっと踏ん張った表情をします)、人目を気にしない、アルマーニも着ない、あるがままの姿だからこそ可愛いのです。もっとも、生後間もない赤ちゃんに、まだ「自分」という意識はないはずです。ということは、いかに「自分」という意識が虚で、その意識が過剰なほど可愛らしさを妨げるということになります。虚とまで言うと、立派な意識を持った大人の皆さんに叱られるかもしれませんが、「あるがまま」の姿こそ美しく、それが最高の力になるということではないでしょうか。 

 赤ちゃんは多分、わざわざ瞑想などしなくても、そんな状態でいられるのでしょう。いいなあ。