風流人日記

医王整体院 院長のblog

わかりやす〜い

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 ある朝いつもと同じ道を散歩していました。少しカーブした道の角っこを曲がった瞬間でした。突然視界が開けて道の先まで見通せるようになったことに不思議な感覚を覚えて、凄い発見をしたような気分になったのです。考えてみればそんなことは当たり前のことなのですが、角を曲がれば、歩みを進めれば、それまで見えなかったものが見えるようになるということに、なぜかその日は小さな感動を味わったのでした。

 

 近頃ちょっと気になることがずっと頭の片隅にあります。若い人が使うのをよく耳にする「わかりやす~い」という言葉です。「わかりやすい」ことを決して悪いと言っているのではありません。わけのわからないことより、わかりやすいほうがスッキリするし、精神衛生上も良いと思います。

 しかし、世の中わかりやすいことばかりではありません。先のことは誰にもわからないし、今ここで起こっている出来事でも、簡単にわかったり理解できないことのほうが多いと思います。

 だからこそ「わかりやすい」ことを誰もが好み、賞賛するのでしょう。

「わかりやす~い」という話し手を称える言葉の裏にはそういう真実があるのだと思いますが、かといって「わかりにくい」ことを避けてばかりしていられません。

 どうも「わかりやす~い」が幅を利かせすぎて、苦労してわかりあうことや、わからないことに耐える力がどんどん失われていくように思うのです。

 昨年話題になった「排除」という行為もそんなところから生まれるのではないでしょうか。

 

 今の時代、知らないことでも初めての道でも、検索するとたちまち答えを教えてくれるスマートホンという便利なツールが、わからないことをわからないまま生きていくための豊富な経験と智慧を持つ年長者や宗教に取って代わり、主役の座を奪いつつあります。 

 つまり、人に尋ねたり図書館に行って調べたりなどという面倒なことはしなくても、スマホさえ持っていれば何でもわかるし何でもできるという錯覚に陥りやすくなっています。

 人と簡単に繋がれる、何でもすぐに答えてくれるスマホを神のごとく崇める気持ちは、結論のないことや答えのないものを存在しないことにしたい「わかりやす~い」と同じ心の表れではないでしょうか?

 そんな若いスマホ世代がつまずくのは、他者との人間関係です。スマホは相手が何を考えているかということまで教えてくれませんし、相手との価値観の違いを埋めてはくれません。こればかりは、少しは嫌な目をしたり恥をかいたりといった経験を積まなければなりません。

 人と人は、なかなかわかり合えないからこそ、わかり合えた時の喜びは大きいのだと思います。本当のわからないことがわかる喜びは、「わからない」状態に耐える覚悟がなければ得られるものではない気がします。

 旅行に行く時に事前に周到な下調べをして出かけるよりも、予備知識のない白紙の状態で偶然出会った景色の方が感動することが多いのも、そういうことではないでしょうか。わからないことがあってはいけない、などと思う必要はないのです。本当は「わかりにくい」ことのほうに真実が隠されている気がします。

 たぶん人生という旅は、その真実を追求し続けることなのでしょう。自分の足で歩き自分の目で確かめなければ、気づかないことばかりです。

 

 さあ今年はどんな年になるでしょうか?一歩ずつ歩みを進めながら気づいていこうと思います。そして、わからなことをわからないまま、複雑なものを単純化しないで複雑なまま抱え続ける力を、すこしでも鍛えたいと思います。