風流人日記

医王整体院 院長のblog

その日出会う天使が一人いる

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 どこで聞いたか知ったかはもう忘れてしまったが忘れられない言葉がある。

 「いつでも、どこでも、その日に出会う天使が一人はいる。ただ、それに気がつかないだけで」

 作家の中島らもさんのこの言葉を聞いて以来、日々の出会いや何気ない会話の中に天使を探していることがある。あるいは、その時はそんなことさえ忘れていても、後で振り返って、「ああ、あの時のあの人がぼくにとってのその日の天使だったんだ」と気づくことが何度となくあった。

 残念ながら、いまのところ毎日とはいかないが、、、。

 それでもそれは、人生捨てたものではない、と思える瞬間であることに違いない。

  辛く悲しいことの多い人生も、こんなふうに見たり考えたりすると、まんざらでもないと思えるのだから、ものは見方によって如何にでも見えるということだ。

 このところ相次ぐ大臣クラスの人たちの耳を疑うような不用意な発言に心が傷んだり、十分な議論もせず数の力で押し通す強引で独善的な政治に嫌気が差し、気分も落ち込み気味だけれど、そんな時でも前川喜平前文科事務次官のような誠実で勇気ある人がマスコミ報道に現れたりすると、ほっとする。そして少しは気分も晴れて、眉間の皺も緩む気がする。

 無関心でいることが一番良くないと思っているから、嫌なことも聞いたり悲しくなるようなニュースも見たりはするが、進んで心の清らかな人を探して清々しい気分を味合わなければ、人の気持ちはどんどん萎えていく。

 テレビに出る立派な肩書を持った人でなくても、目を開いて探せばもっと身近なところにも天使はいるのだと思う。それは電車の中でお年寄りに席を譲る人かもしれない。道端ですれ違う花や蝶かもしれない。小鳥や木や犬や風や雪の姿をして現れるかもしれない。

 前川さんが天使に見えるか、はたまた地獄からの使者に見えるかは、それぞれの立場によって変わるのだろうけれど、人は自分の都合で自分が見たいものだけを見ていることが多い。

 天使というのはそんな身勝手な見方を超えた曇りのない心に現れる気がする。