風流人日記

医王整体院 院長のblog

苦みと苦しみ

100830k7_p0288 はじめてビールを口にしたのはいつだったか。はっきりとは覚えていませんが、まだ小学生だったでしょうか、中学生になっていたか、未成年だったことは(偉そうに言うわけではありませんが)間違いありません(ナイショですよ)。たぶんお正月に親戚一同が集まって食事をしている時か、家族旅行に行った折りに、ちょっとふざけて大人のまねをしてということだったと思います。そんなちょっとしたお祭り気分の時でもなければ、親もそんなことを許すわけがありませんから。

 その時のビールの味はいまでも忘れません。なんじゃこりゃあ!という感じですね。とにかく苦い。それまでの人生でそんな苦いものを口にしたのは、風邪かなにかの病気のときにのんだ薬くらいのものです。まあそれは、辛い症状を治すためと、仕方なく目をつぶって飲み込みました。良薬口に苦し、というやつですね。

 しかし、大人はよくこんな苦いものを病気でもないのに毎日おいしそうに呑むものだと不思議に思ったものです。

 それから歳を重ね、まだ法的にはアルコール解禁の年齢ではないですが、世間からの呼ばれ方が生徒から学生へと変わる頃には、ビールの苦さが美味いと感じるようになりました(これもここだけの話)。身体も精神も少しは成長し、味覚も変わっていったのかもしれません。

 いまの若者は昔よりアルコールの摂取量が減っているといいます。飲むものもビールや日本酒から、酎ハイとかカクテル系といったライトなものに変わっているそうです。そして、ビールの味そのものも苦みを押さえたものが好まれているようです。

 味覚は個人差があり、好みもまちまちなのは当然のことですが、その全体的な傾向は少なからず時代を反映しているような気がします。

 「苦い」という字は「苦しい」と同じ字を書きます。読み方は違っても、意味はほぼ同じです。辞書を引いてみると、「苦しい」は、つらい・こまった・心身にこたえる・やりにくい・なやむ、など。「苦い」は、なめてにがく感じる・つらい・くるしい・おもしろくない、と書かれています。

 生きづらさという点では判断が難しいのですが、モノの充足、生活の便利さという面では間違いなく昔より今のほうが上だと思います。そんな時代に生まれると、物心ついた頃からなんでもそろっていて、それほど身体に負担をかけることもなく、便利なことが当たり前に思ってしまいます。昔ほど苦労することもなく快適な生活ができるのです。

 でもこの歳になると、苦労は果たして悪いことなのだろうか、避けるべきものなのだろうか、苦労が今の自分を育ててくれたのではないか、と思うことがあります。ビールの味が、歳を重ね大人になるにつれ苦さから旨さに変わっていくように、苦労のとらえかたも変わるのかもしれませんね。

 そりゃあ誰だってなるべく苦労はしたくありません。でも永く人生をやっていると(そんな偉そうなことは言えないまだ若造ですが)、そう上手くはいかないことがわかってきます。苦労は避けることのできない、誰の人生にもセットでもれなくついてくるもの。そのときなんとか回避できても、その先により大きくなって待ち受けている。そんな感じです。

 私はかつて漢方薬を飲んでいた時期がありました。錠剤や顆粒状の飲みやすいものではなく、さまざまな生薬を組み合わせたものを煎じて飲む本格的なものですから、味は強烈です。最初に飲んだときは嘔吐きました。これは飲めない!と。それでも意を決し、鼻をつまみ目をつむって一気に飲みました。毎日続けていると、決して美味しいと思うようにはなりませんが、次第にその不味さに慣れていきました。

 同じように、美食ばかり続けていると、どんどん美味しさを感じられなくなってしまうのではないでしょうか。甘いものばかり食べて舌がそれに慣れてしまうと少しの苦さが我慢できなくなるのと同じで、楽ばかりしていると心身の感覚が狂ってしまい、少々の困難も耐えられなくなるんじゃないかと思います。

 だから、ときどき苦いものを食べたり苦労を味わったりして、五感と心の感覚をリセットする必要があるんだと思うのです。

 苦しさから目を背け、自分と正面から向き合うことを避けてばかりいては、いつまでたっても自分を受け入れることができず、それを乗り越える力「こころとカラダの免疫力」がつきません。

 苦しさへの耐性が衰えた現代人にとっては、ビールの苦さも避けたいもののひとつなのでしようか。苦さがあるからこそ他の味が引き立つと考えるのは、ビール好きの独り善がりなのか。

 節電の夏、暑さに耐えビールを飲みながら、ホロ酔い気分でこんなことを考えました。