犬に教えられたこと
今や空前の猫ブームですが、流行に左右されない(天の邪鬼とも鈍感とも言いますが)私は、あえて犬の話を書きます。
愛犬が星に帰ってもうすぐ丸五年になります。これまであまりそのことを語ろうとも書こうともしませんでしたが、なぜかこの頃、ゆっくり振り返ってみたくなることがあります。少し気持ちの整理が付いたのかもしれません。 思い出すたび涙は出ますが、、、。
彼女の名はクリスと言います。間もなく14歳を迎える寸前で息を引き取りました。人間でいうと90歳くらいになるそうですから、かなりの長生きでした。
何を言っても親バカ、いや愛犬自慢に聞こえるでしょうが、彼女はいいヤツでした。
人間という生き物は偉そうに他の生き物を支配し、自分たちが世界で一番、なによりも上の存在だと思っています。でも、犬だけでなく、いろんな生き物を飼ってみると気づくことがたくさんあります。
犬を観察していると、人間の傲慢さや愚かさがよくわかります。偉そうなこと言ってるけど、辛いことがあったりすると人間は犬の存在に癒しや救いを求め、結局犬に助けられているのです。
どんな時でも犬は淡々としています。しかし、人間が泣きついてきた時、犬にはその苦しさや悲しみがわかるのでしょう。黙って聴いてくれます。 こんなこと余程できた人間でないとできません。でも犬は時と場合や自分の都合に関わらず、いつでも(寝ているときでもその寝姿で)人の苦しみを受けとめてくれます。常に恬淡虚無の姿勢でいるからできるのでしょう。
おそらく犬は自分という自覚が希薄なんだと思います。これは犬をバカにしているのではありません。自分に対する忠告です。
人間は我が我がと自分を一番に考え過ぎます。それは産まれてしばらくして物心が付き自我が芽生える頃から始まるようです。そしてそれと同時に苦を感じ始めます。 つまり苦の根源は自分ということになります。だから自我意識の薄い犬は、苦を感じにくいのでしょう。
喜びを感じるのはご飯を食べる時、出かけていた家族が帰ってきた時、皆で一緒に出かける時、それくらいかもしれません。でもよく考えてみると、それ以上にどんな喜びがあるでしょう。別に社長や大臣にならなくても、金持ちの家庭に産まれなくても、家族が仲良く暮らす喜びは味わうことができます。持ち物が少なければ苦も少なくて済むのでしょうか?
また恵まれない環境で暮らする犬もいるでしょうが、その犬が不運を感じ嘆いているかと言えば、そうではない気がします。それは他と比べないからではないでしょうか。他所の犬は温かい家の中でいい餌をもらって羨ましいとは考えないからだと思います。自分の与えられた環境に文句を言わないのは情報がないからとも言えますが、「知足」=足るを知るには、知らないことが多いほうがいいのかもしれません。
そして人にできる大切なことは、自己を薄め、生かされていることに感謝することでしょうか。
「ただ生きている」だけで人を癒すことができる犬の存在の素晴らしさに、月日が経って改めて感動します。
3月31日は彼女の命日です。
温もりの記憶
アラジンのブルーフレーム石油ストーブを使い始めて17年になる。 あれは20世紀最後の年だった。当時2000年になるとコンピューターが誤作動を起こす可能性があるという「2000年問題」が巷を駆け巡った。 家の暖房器具は大丈夫じゃないかという私の言葉など耳に届かず、人一倍不安を感じやすい性格の母は、備えあれば憂いなしと、いち早く石油ストーブを手に入れた。ちょっとおしゃれなアラジンにしたのはたぶん兄のアドバイスによるものだったと思う。
そして迎えた2000年1月1日。懸念されていた事態は起こらなかった。母は良かったと胸を撫で下ろし、まもなくアラジンは手付かずのまま実家の納屋へと仕舞い込まれる。
2000年危機などどこ吹く風、その後もしばらくエアコンやガスファンヒーターを使い続けていた私だったが、しかしその機械的で無味乾燥な生暖かい風には以前から不快さを感じていた。
ある時ふと実家の納屋に眠っているアラジンを思い出した。
使わないなら貸して頂戴といってアラジンが我が家に来てからは、もう初めから自分のもののように使っている。当節の電気製品とは違ってリモコンのボタンひとつでは動かないが、毎朝の儀式のようにマッチで芯に火を点けるところなど手間のかかるのが人間的でいい。コンピューター制御の風情のない風ではなく、炎でやわらかく暖められた空気が対流し、じんわりと部屋全体に拡がっていく。
静かに揺らめく青い炎を眺めながらその暖かさに触れているとき、ささやかな幸せを感じるのだ。直球ではない包み込むような暖かさは、温泉にでも浸かっているように体の芯まで滲みる。それは人のぬくもりにも感じられる。 マッチ売りの少女が一本のマッチの炎で一瞬感じた暖かさが、ストーブや七面鳥のごちそうなどクリスマスの家庭の光景だったように、私もこのアラジン石油ストーブの暖かさから昔の家族団らんを思い出す。
物心ついた60年ほど前の日本の家庭にはまだ火鉢があった。薬缶を乗せた火鉢を皆で囲ったり、金網を乗せてのんびりと餅が焼けるのを待つなど、なんて長閑な時間だろうか。かつては家族と過ごすそんな時間が確かにあった。よく親に叱られた子供だったが、それでも火鉢の周りに座ってその暖かさを感じているときは、誰もが優しかった。柔らかい炎の暖かさが人の心までも穏やかにしていた気がする。
冬の寒いある日、薬缶を乗せたアラジンに手をかざしてお湯が湧く音を聞いていると、ゆらゆら揺れる暖かい空気の向こうに遠い昔の記憶が蘇ってきた。 難しいコンピューター問題ともモデルチェンジとも縁のない旧式石油ストーブは、変わらない姿のまま今日も暖と幸せを届けてくれる。
「こころとカラダにちょっといい話」100回目を迎えて
このブログにアップする記事の中から抜粋した「こころとカラダにちょっといい話」というタイトルの小冊子を院内に置いて、来院される皆様に読んでいただいています。
それがこの度100回目を迎えることになりましたので、お礼を兼ねて記念発行しました。
ひいき目に見ても、この世の中はいいことばかりではありません。これもその人その人の受けとめ方次第ですが、どちらかというと、苦しいこと辛いことの方が多いようにも思います。 でも、それだけでもないことも確かです。数字になど表せないと思いますが、10のうち一つか二つくらいはうれしいこと、楽しいこと、ああ生きていてよかったと思えることがあるような気がします(えっ、私はもっとありますよって? いいですねえ)。
それは、友人や家族のちょっとしたひと言だったり、美しい風景に出会った時の感動や本で読んだ心に響く話だったり、見知らぬ人から受けた厚意であったり、、、。 そんな日常の出来事から得られる出会いや言葉や心を動かされる振る舞いが、立ち直るきっかけになったりすることがあります。
それを糸口にいつもと違った考え方ができると、抱えている難題が違った見え方をしたり、世の中まんざらでもないな、と思えたりします。
そこにたどり着くには、逃げないことが大切なようです。前向きで楽天的な考え方をするということは、決して前だけを見、苦しいことに背を向けて、楽な方へ逃げるのではないのだと思います。しっかり問題と向き合い、自分を見つめ直すとことから、自分の思考パターンやクセが見えてきて、新たな別の見方が浮かび上がってくるのです。
辛くても、逃げずに苦しみと向き合い乗り越えなければ「楽」は味わえないのかもしれません。 現状否定という抵抗をやめたとき、自分(我)という強固な殻を破った時に、見えていなかった道に光が当たる、と言えるのかもしれません。
ここに書いたことは、私がアトピーという苦い、いや痒い経験を通して感じたことや知ったこと、また日常のいろんな出会いの中で、友人からのアドバイス、先人たちの言葉、多くの本、患者さんとの会話などから拾い集めたものです。
なかでも、患者さんが苦境から立ち直っていかれる姿からは、どんな立派な書物や箴言よりも、私に大きな感動とヒントを与えていただきました。
自分自身と向き合い、嘆き、葛藤し、もがき苦しみながら、果てしなく遠く思える出口を探す。「三歩進んで二歩下がる」という唄の文句がありましたが、それはまだよいほうで、ようやく一歩でも前に進めたかと思うとまた後退して元に戻ったりという、行ったり来たりの苦しい道のりを、こちらがなにも大したことをできなくても、自分の脚で 地道に歩んで行かれる姿に、私のほうが励まされ勇気づけられることがたくさんありました。
人間は薄い氷のようにモロい存在でもあるけれど、奥深くには限りない可能性を秘めているんだなあと、改めて思うのです。 人間ってすばらしい!
そんな私の感動体験が、みなさんにとっても、少しでも苦しみを乗り越えるきっかけ、楽を見出すヒントになればと願っています。
お陰様でこの「こころとカラダにちょっといいお話」も今回で100回目を迎えました。数だけ見れば自分でも驚くほど長続きしたなと思いますが、根気もなくたいして文才もない私がここまで続けてこられたのは、様々なことを皆さんの体験から教えていただいたお蔭だと感謝しています。
ブータンでは、自分の大切な人の幸せを含めて、初めて自分の幸せと捉えるそうです。
一応これで100回目の区切りとさせていただきますが、まだまだ学びの道は続きます。これを最終回とせず100回目とし、こころを揺さぶられたり感動したことがあれば、その都度また書きたいと思っています。 これまで読んでいただいて、ありがとうございました。
お引っ越し
いえいえ、医王整体院が引っ越しするのではなく、しばらくお世話になっていたeoblogから突然立ち退き命令、いやサービス終了のお知らせがきたのです。
難しいことはわかりませんが、blogというSNSもいまやTwitterやFacebookなどの新興勢力に押されて、利用者が減っているのだろうと思います。
無料でサービスを受けていた立場で文句など言えません。永年ありがとうございました。
私自身もTwitterやFacebookにも手を染めては見ましたが、どうも馴染めず、Facebookは2ヶ月ほどで撤退、Twitterも自分でつぶやくことはなく注目する人のツィートをたまに見るくらいです。
ゆらゆらと自然のリズムで生きる風流人にとってはなんだか慌ただしさを感じてしまい、追い立てられるようなそのスピードについていけなかったのだと思います。よくみんな忙しい中これだけせっせと情報発信できるものだと感心もしました。
といったわけで、どやら私にはblogというものが一番自分の生活リズムに合っているような気がしていますので、eoblogが終了してもblogだけは続けていきたいと思い、こちらに引っ越してきました。
不慣れなHatena Blogで上手く更新できるかどうか不安ですが、気持ちも新たに「風流人日記」として再スタートします。
なお、写真中心のブログ「Hearing Photographs」は変わらず続けていきますので、引き続きご愛顧ください。
縁側という境界
あるブログに載っていた写真がふと目が止まりました。
どこかのビルの壁際にパーテーションで仕切られて5台の公衆電話が並んでいる。そのひとつの空間で誰かが電話をしています。しかしそれは公衆電話ではなく、自分の携帯電話で。いつでもどこでもかけられるのが携帯電話の便利さですが、ちょっと今はなあ、ここではマズイなあ、という内容の話もあります。とても深刻で繊細な話になればなるほど、多くの他人がいるところではしたくないはずです。おそらくこの写真の主も大切な微妙に込み入った話をしていたのかもしれません。
たった一枚の仕切りでも、あるのとないのでは大きな違いです。文字通りのパーテーション(仕切り)によって、自分と隣の人との、あるいは自分と社会との境界線を引ける。それは形だけのものかもしれませんが、その形が大事なのであって、なければかえって見えない強固な心の境界線を作ってしまうのではないでしょうか。 通常、人はオープンな社会的空間とプライベート空間を上手く使い分けて暮らしています。 一昔前には、縁側というとてもゆるやかな境界がありました。そこは壁も塀もない外に開かれた家の縁(ふち)でもあり誰かとめぐり会うご縁の場でもあって、心置きなく人と人が関わることのできる場でした。
10年近く前、気功体操教室を始めた当初に次のような文章を書いていました。
家の中でもなく外でもない。やわらかな陽が差し込む縁側に座ってのんびり庭を見つめたり、遠くの景色をぼんやり眺める。勝手口から入ってくる人を、まあ座ってお茶でもどうぞと気負うことなく迎え入れる。 そんな縁側は、かつて、自己の内界と外界との接点であり、人と人とが気軽に交わることのできるコミュニケーションの場でした。 そこではどちらが上でも下でもない。歳の差もない、肩書きも捨てた対等の関係でいられる場所。目上であろうが年下であろうが、お互いを一人の人間として敬う心遣いがありました。 相手の話を聴き、自分の考えを話す。結論は出なくていい。むしろ無理矢理出さないほうがよい。「唯一の正しさ」もここではいらない。百人いれば百様の考え方がある。それぞれが光と影、強さと弱さの両面を持ち合わす。 縁側に座って心を開けば、人は通じ合える。それぞれの境界線を少しずつ譲り合えば、人は優しくなれる。玄関という格式張った空間でないそんな場が、人間関係を円滑にし、人と人が柔らかく繋がることのできる社会を作っていたのだと思います。 遠い過去のものになりつつある日本古来の縁側の発想を小さなコミュニティーのなかで再現したい。気を楽にして学びあえる機会、楽しめる場は、立ち止まって自分を見つめる場でもあり、自分にないもの自分と違ったことを受け入れ、成長していける場になるでしょう。そしてなにものにも縛られないゆるい関わり合いの場で楽しさや心地よさを味わった人たちが、それぞれの生活の場に縁側の発想を取り入れていくことができればいいなあ、と思っています。 一人一人が「開かれた心の縁側」を持てる世の中を目指して。
その頃、様々な悩みを持っていらっしゃる方のお話を聴いていて、その悩みのほとんどはたとえ表面的には身体の痛みであっても、根底には人間関係の問題があることがわかりました。生まれたときにはすでに日本の住宅から縁側など消えていて、見たこともないし、それがどのような場なのかも知らない人もどんどん増えています。そんな若い人たちは生まれた時から個性だアイデンティティーだと育てられ、大人の多くも核家族化した社会で個人情報の保護だの様々な摩擦から我が身を守るためにと「私」という固い殻を作り上げてしまって、簡単に心を開くことができない社会になっています。以来、ここに書いた懐かしい縁側のような緩やかなコミュニケーションの場を目指そうとやってきました。「私」という固い殻を脱いで心を開ける場が、一人で抱えていた重荷を肩から下ろせる場が、少しでも増えればと思ったのです。 この数十年の社会の変化は境界線のあり方も変えてしまったような気がします。人と人、国と国、まことに境界線というのは難しいものです。他者を受け入れるということは、相手の考えを「それも一理ある」と肯定的に関心を持って聴くことです。決してその考えに自分のすべてを合わせることではありません。「相手には相手の考え方がある」ということを受け入れることです。そして相手の存在そのものを受け入れるのです。相手を受け入れるには、まずは弱い部分やダメなところもある自分を肯定的に見つめることが大切です。そうやって自分を受け入れられていなければ、他者を受け入れることなどできません。
これからも、一歩でも二歩でも自分の境界線を譲りあえ、違う価値観を認め合える場をともに楽しみたいと思います。 ああまた難しいことは抜きにして、ぼおっと縁側で空を眺め、笑い合いながらゆっくりビールを、いやお茶を飲みたくなってきました。