風流人日記

医王整体院 院長のblog

温もりの記憶

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 アラジンのブルーフレーム石油ストーブを使い始めて17年になる。  あれは20世紀最後の年だった。当時2000年になるとコンピューターが誤作動を起こす可能性があるという「2000年問題」が巷を駆け巡った。  家の暖房器具は大丈夫じゃないかという私の言葉など耳に届かず、人一倍不安を感じやすい性格の母は、備えあれば憂いなしと、いち早く石油ストーブを手に入れた。ちょっとおしゃれなアラジンにしたのはたぶん兄のアドバイスによるものだったと思う。
 そして迎えた2000年1月1日。懸念されていた事態は起こらなかった。母は良かったと胸を撫で下ろし、まもなくアラジンは手付かずのまま実家の納屋へと仕舞い込まれる。

 2000年危機などどこ吹く風、その後もしばらくエアコンやガスファンヒーターを使い続けていた私だったが、しかしその機械的で無味乾燥な生暖かい風には以前から不快さを感じていた。

 ある時ふと実家の納屋に眠っているアラジンを思い出した。

 使わないなら貸して頂戴といってアラジンが我が家に来てからは、もう初めから自分のもののように使っている。当節の電気製品とは違ってリモコンのボタンひとつでは動かないが、毎朝の儀式のようにマッチで芯に火を点けるところなど手間のかかるのが人間的でいい。コンピューター制御の風情のない風ではなく、炎でやわらかく暖められた空気が対流し、じんわりと部屋全体に拡がっていく。


 静かに揺らめく青い炎を眺めながらその暖かさに触れているとき、ささやかな幸せを感じるのだ。直球ではない包み込むような暖かさは、温泉にでも浸かっているように体の芯まで滲みる。それは人のぬくもりにも感じられる。  マッチ売りの少女が一本のマッチの炎で一瞬感じた暖かさが、ストーブや七面鳥のごちそうなどクリスマスの家庭の光景だったように、私もこのアラジン石油ストーブの暖かさから昔の家族団らんを思い出す。


 物心ついた60年ほど前の日本の家庭にはまだ火鉢があった。薬缶を乗せた火鉢を皆で囲ったり、金網を乗せてのんびりと餅が焼けるのを待つなど、なんて長閑な時間だろうか。かつては家族と過ごすそんな時間が確かにあった。よく親に叱られた子供だったが、それでも火鉢の周りに座ってその暖かさを感じているときは、誰もが優しかった。柔らかい炎の暖かさが人の心までも穏やかにしていた気がする。

 冬の寒いある日、薬缶を乗せたアラジンに手をかざしてお湯が湧く音を聞いていると、ゆらゆら揺れる暖かい空気の向こうに遠い昔の記憶が蘇ってきた。  難しいコンピューター問題ともモデルチェンジとも縁のない旧式石油ストーブは、変わらない姿のまま今日も暖と幸せを届けてくれる。