二日酔いは醒めたが、あまりに久しぶりの苦しみでインパクトが強かったので、その続き。
苦しみの最中、それを感じ、味わうどころの騒ぎではないのだがしかし、確かにその時は、なにも考えず(考える気力もなく)ただひたすら回復を待つ。
それこそが逃げることのできない苦しみという「今、ここ」を味わっているのではないか?
そんな状況を振り返ってみると、苦しみながらもどんどん身体の状態が元に戻るのをじっくり味わっているのだ。それは状況の変化を楽しむ姿勢である。身体とともに心もそこにあるのだ。
感じ,味わうということは、まさに現在進行形でしかありえない。感じ、味わっていることから発生する思いに心を向けた瞬間から、思考が始まる。そうなると、もはや心は「今」ではないどこかへいってしまう。
苦しみすらも、そうやって楽しんでしまう。それは自分の身体を信じることによって初めて可能なことだ。きっと良くなる、という信頼。その思いがあるからこそ楽しむことができるのだろう。
しかし、逆に考えてみると、今の苦しみとその苦しみの変遷を味わううちに、自己の身体が持つチカラに気づいていくのかもしれない。
カラダのチカラは凄い!余計な雑念が邪魔しなければ、そのチカラは存分に発揮される。