風流人日記

医王整体院 院長のblog

病気と祈りと感謝

120807

 前々回、前回と養生の基本である呼吸について書きましたが、その間、実はちょっとした予期せぬ出来事がありました。

 ある週末に右目が少し霞んだようになり、次第に視野の一部が目に涙を浮かべたときのようにぼんやりとしてきたのです。週明けを待って月曜日の一番で近くの眼科へ行きました。網膜剥離が起きていてすぐに手術をしたほうがいいとのことで、紹介状を書いてもらい設備の整った病院を受診すると、早速翌日の手術が決まりました。そうと決まればもう迷ったり考えている暇はありません。いったん家に帰り、慌ただしく入院の準備をしたり仕事を休むための段取りをしました。

 普段から養生養生と言いながらなにをやっているんだと叱られそうですが、これはもう仕方ないことだと思っています。確かに目の養生のことまで真剣に考えたことはありませんでしたが、生きていれば、そして長く使い続ければ、身体にはなんらかの変化が起きるのは当然です。

 養生も大事ですが、それと同じくらい大切なのは、何かが起きた時にそれをどう受けとめ、いかに向き合っていくかということだと思います。

 命に関わることではないからそんなのんきなことを言ってられるのだとおっしゃるかもしれませんが、目だってたとえ片目であろうとも、失明すればそれはショックですし、その後の生活に大変な不自由を味わうと思います。

 どんなに規則正しい生活をし、身体にいいといわれるものを食べ、きっちり運動をしていても、病気というものはなる時にはなるのです。反対にどんなに不健康な生活をしていても一生医者にかからない人もいるかもしれません。これはもう、人間が自分の力だけで完全にコントロールできることではありません。むしろ、コントロールできるという考えを持つほうが不健康だと私は思っています。だから大事なことは、繰り返しますが、自分の一生の中のコントロールできない部分をどう受けとめ、受け入れていくかというところだと思います。

 そして今回、そんなコントロールのできないことが多い人生の中で、それでも人間には底知れない潜在能力が眠っているということを改めて知りました。

 そのことに気づき、その力を十分に発揮できるかどうか、このあたりが日頃の養生ーーーつまり身体と向き合い、その大きな力を畏れ、有り難く思うことーーーと深く関係するんじゃないかと思います。

 実際、この度の手術も、担当していただいた先生の0、1ミリ単位の素晴らしい手技のお蔭で無事に終わったわけですが、術後の回復はもう本人のなかに存在する治癒力に頼るしかないわけです。私は何も自分を自慢しているわけではありません。自分の身体に授かったそういう自発的治癒能力、あるいはそれを授けてくれた大いなる何かの力に畏敬の念を覚えるということを言いたいだけです。別段取り立ててそんなことを言わなくても、治るものは治るとは思いますが、ただそうは言っても、その力に感謝し信じることが、微妙に回復力の差として現れるのではないかと思うのです。

 誰だって病気になったり苦しい時には祈る気持ちになります。その祈りが何に向けられているのかは人によって違うと思いますが、そこには感謝の気持ちが必ずあるように思います。

 いやいや、そんな大それたことよりも、一番に感謝しなければならないのは、診ていただいた先生はじめ、なにかとお世話いただいた病院のスタッフの皆さん、心配していただいた近しい人たち、そして支えてくれた家族の一人ひとりなのかもしれません。

 少しずつはっきりと見えてくる目で病室の窓の外を見ながら、そのような予想外のことが起こらなければわからないいろんなことを、久しぶりに日常と立場が変わって一人の患者になった身で想いました。