風流人日記

医王整体院 院長のblog

健康と病気 〜安定と不安定〜

120814k5_fa50_p0556

 安定した状態というのはなんら問題がなくていいかもしれませんが、そこからは新しいものや発想は生まれにくいと思います。新しい気づきは規則正しさよりも不規則な流れの中でより多く見いだされます。多くの発明や発見が、失敗の中から生まれるように。安定がいいと思っているのは実は間違いで、この世の中は混沌として不安定であることが本来の姿なのかもしれません。安定はいつ壊れるかもしれない不安定な状態なのですから。

 私の体験で言うならば、若い頃は、「いまとても幸せだ」と感じている瞬間は「この幸せがいつまでも続いてほしい」と考えていることが多かったように思います。しかし、歳をとり経験を積み重ねるに従って、幸せなど長く続くものではないことを知ります。そして、幸せは刹那であって、そんな刹那を含んだ全体を想うことができることが幸せなのだと理解するようになりました。

 話をより拡大展開すれば、昨年起きた大震災のような究極の不安定によって、人はこれまで自分の中に埋もれていた力を発揮したり、その不安定さの中でささやかな幸せを感じたりするものなのだと思います。あまりにも恵まれた日常生活は、その只中ではそのことに気づかず、むしろその中で不平不満が山のように出てきます。安定が続くと、人は不安定を望むのでしょうか。安定に退屈するのかもしれません。

 さて前置きが長くなりましたが、今回は「健康と病気」がテーマです。いまテレビをつけると、どこかのチャンネルで健康番組をやっています。それだけみなさん健康に関心があるということなのでしょう。でもほとんどの番組は私に言わせると健康番組ではなく「オカルト番組」です。何十万人に一人という稀にしかない病気を誰に起こっても不思議でないように取り上げて、人々を恐怖に怯えさせる。それこそ病気の怖さ以上に怖~い番組です。もちろん気をつけるにこしたことはありませんが、いくら病気のことを知っても病気が治るというわけではありません。むしろ病気について一生懸命知ろうとするほど、病気に近づくような気がします。病気のことばかり考えていると、やはり気が滅入ります。そしてそれはどんどん病気に向かっているのではないかと思います。

 病気は固定的なものではありません。誰でもいつでも病気になる可能性はあるし、逆に病気であってもずっとその状態が続くとも限りません。症状というのは早く治そう、元に戻そうという身体反応ですから、症状が出ることや病気をぜったいダメ、いけないこと、と決めつけるのはよくないと思います。先に書いたように、終始安定している状態などありえないのです。病気を「健康と健康の狭間」と考えると、病気の状態を固定せず、快復への希望を持てるのではないでしょうか。あまりに神経質に病気や健康のことを考えすぎると、むしろそのストレスのほうがカラダにとっては悪影響を与えかねません。健康オタクが必ずしも元気で長生きとは限らないのです。そりゃあ元気に日々を暮らしたいとは誰もが思いますが、健康でなければならない、長生きしなければならないという強迫観念は捨てたほうがいいでしょう。

 病気のこと、長生きのこと、まだまだ我々人間のカラダのことは分からないことばかりです。確かなことは、いつもいつも健康ではいられないが、病気も無限に続くことはなく、カラダは常に変化を続けるということ。そして病気になって初めて健康のありがたさを知ったり、その病気から教えられることがたくさんあるということです。

 「阿弥陀堂だより南木佳士著)という本に出てくる、自然体で暮らす90を越えたおうめ婆さんの言葉が忘れられません。

 娘の頃は熱ばかり出していて、満足に家の手伝いもできませんでした。誰もがこの娘は長生きはできないだろうと言っていたものでした。それがこんなに死ぬのを忘れたような長生きになってしまうのですから、人間なんて分からないものです。歳をとればとるほど分からないことは増えてきましたが、その中でも自分の長生きの原因が一番分からないことです。