風流人日記

医王整体院 院長のblog

身体感覚を伴った言葉 〜言葉の重みと虚しさと〜

120716k5_p9161 ・人間の不安は科学の発展から来る。
             夏目漱石
 ・20世紀の科学の第一の仕事は「破壊」だった。 
            岡潔(数学者)
 ・何もかも失われた時にも、未来だけはまだ残っている。
 クリスチャン・N・ボヴィー(アメリカの作家)
 ・必要なものは少しでいい。何もかもあると、もっとほしくなるから。
                       ピレネーの羊飼い
 ・人は今こそ謙虚にならないといけない。
  少しずつ暮らしの「引き算」をするときがきたんじゃないか。
                 本橋成一(写真家・映画監督)

 東日本大震災が起きた直後、多くの人が口々に「言葉にならない」と言っているのを何度も耳にしました。私自身も気持ちが必死に言葉を探していたのですが、なかなかしっくりと来る言葉が見つかりませんでした。
 言葉は体験の記録のようなものですから、これまでに自分が体験したことがない出来事に出くわすと、それはこれまで使ってきた言葉では表現しようがないのは当然かもしれません。
 そんなとき、冒頭に記した言葉がすっと私の腑に落ちました。いつの時代にも、こんなふうに社会の動きや起きている現象を、少し離れた目線で冷静に見つめることができる人がいるのだということに、感銘を受けるとともに、安心感を覚えました。そこで今回はあらためて「言葉」ということについて考えてみました。

 この度の原発事故を含む震災で、私たちはちょっと立ち止まって、いろんなことを考える時間を与えられれたのではないでしょうか。震災直後は様々な情報が飛び交いました。そこにはあまりにも多くのウソ偽りの言葉がありました。われわれ日本人だけでなく、多くの国の人々がその言葉に翻弄され、ときには誤った行動をとらざるを得ない状況にも追い込まれました。一部の人たちの私利を守るため、責任を逃れるために、たくさんの人がその犠牲にもなりました。

 あれから一年半も経たないうちに、政府は将来への新たな道筋を示すこともなく、これまでどおりの大量生産・大量消費に頼った右肩上がりの経済成長を最優先し、安全性の確保もそこそこに原発を再稼働させてしまいました。このところ毎週金曜日に首相官邸周辺で多くの人が市民の声を聞いてもらいたくて静かなデモを行っています。しかしこの国の首相の耳には、そんな庶民の声もただの「音」としか聞こえないようです。

 これまでも歴史が語るように、危機や失敗が新しい技術を生む大きな原動力になってきました。失敗は発明の母なのです。それなのに貴重な母の声を聞こうともせず、安易に元のシステムに戻ろうとするのは、まったく人間としての成長がないとしかいえません。経済成長から人間としての成長にスイッチする絶好の機会を逃してはならないと思うのです。

 そのためには、人類として獲得した「言葉」の持つ重みをもっと真剣に考え、言葉とともに成長していかなければならないと思います。昔の人の含蓄のある言葉に比べて、今あまりにも言葉が軽く虚しくなってしまっている気がします。
 言葉は人に希望を与えることができますが、使い方によって言葉は人を傷つけることもままあります。他者の言葉はもっと真摯に受けとめ、こちらから発する言葉はより慎重でなければなりません。私自身もこの歳になっても、諸刃の剣である言葉をまだまだ上手に使うことのできない未熟さを痛感しています。人間として生きていくからには、言葉の虚しさを感じながらも無視するわけにはいかないのですから、これは一生をかけての勉強です。
 感じ、行動することを大切にしながらも、言葉を使って考えたり伝えたりすることもまた学んでいかなければなりません。
 これまでおとなしく物言わない国民とされてきた日本人ですが、震災以降、これだけ多くの人が世代や立場や利害関係を超えて行動を起こしているのは、身を以て原発の危険さを感じ、人間として何が大事なのかを身体感覚として感じ取ったからではないでしょうか。
 想いが言葉にならない時はカラダの声に従って、たとえ小さなことでもまずは身体を使って実践していくことが大切だと考えます。