風流人日記

医王整体院 院長のblog

おうめ婆さんという道しるべ

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 世界中がウイルスの恐怖と不安であわやパニックという状況ですが、寝ても覚めてもシャワーのように降ってくる恐怖の情報から、たとえ一時でも離れなければ体が持ちません。

 頭が混乱し、モヤモヤと霞がかかったように前方を見渡せなくなった時に手にする本があります。南木佳士さんの小説「阿弥陀堂だより」です。私にとって、道に迷った時に見る地図のようなものです。

 登場する96歳になる「おうめ婆さん」が語る一言一言が、深く胸に突き刺さります。そして視界を覆う霞を、力強くしかし優しい陽の光で蒸発させてくれるように道が拓けてくるのです。また新しいスタート地点に立ったような気がします。

 質素で気張らない自らの生活を語りながら、「何も難しく考えることはない。あるがままに歩んでいけばいいんだよ」、そうおうめ婆さんは教えてくれているような気がします。

 

 舞台は信州の山あいの集落。その中腹にひっそりと建つ集落の先祖を祀る「阿弥陀堂」の堂守として、一人で暮らすおうめ婆さんを時々訪ねてはいろんな話を聞き、それをまとめたものが「阿弥陀堂だより」として村の広報紙の一角に載せられています。コラムを書くのは役場の助役さんの一人娘で難病を抱える小百合さん。

主な登場人物は、この村に生まれ、東京で物書きとして暮らしていた孝夫さんと医師である美智子さん。美智子さんが心の病を得たのを機に夫婦共々故郷であるこの村に戻ってきたというところから始まります。

 

 映画化もされたこの話の筋は、DVDを観るなり、じっくり本を読んでいただきたいと思いますが、ここではいつも私が迷った時に指針にする幾つかの言葉を紹介したいと思います。

 

 目先のことにとらわれるなと世間では言われていますが、春になればナス、インゲン、キュウリなど、次から次へと苗を植え、水をやり、そういうふうに目先のことばかり考えていたら知らぬ間に96歳になっていました。目先しか見えなかったので、よそ見をして心配事を増やさなかったのがよかったのでしょうか。それが長寿の秘訣かもしれません。

 

 畑には何でも植えてあります。・・・質素なものばかり食べていたのが長寿につながったのだとしたら、それはお金がなかったからできたのです。貧乏はありがたいことです。

 

 雨の日だとか雪の日は体を動かさなねえから、やっぱり寝つきが悪いでありますよ。そんなときゃあ、ろくなことを考えねえから、そこの湧水の音を聞いて、水になったつもりで川に出て流れて下ることを考えてみるのでありますよ。そうすりゃあいつの間にか寝てるであります。

 

 96年の人生の中では体の具合の悪いときもありました。そんなときはなるようにしかならないと考えていましたので、気を病んだりはしませんでした。気を病むとほんとの病気になってしまいます。

 

 南無阿弥陀さえ唱えてりゃあ極楽浄土へ行けるだと子供の頃にお祖母さんから教わりましたがな、わしゃあ極楽浄土なんぞなくてもいいと思っているでありますよ。南無阿弥陀を唱えりゃあ、木だの草だの風だのになっちまった気がして、そういうもんと同じに生かされてるだと感じて、落ち着くでありますよ。だから死ぬのも安心で、ちっともおっかなくねえでありますよ。

 

 阿弥陀堂には入ってからもう40年近くになります。みなさんのおかげで今日まで生かしてもらっています。阿弥陀堂にはテレビもラジオも新聞もありませんが、たまに登ってくる人たちから村の話は聞いています。それで十分です。耳に余ることを聞いても余計な心配が増えるだけですから、器にあった分の、それもなるたけ良い話を聞いていたいのです。

 

 何度もなんども読んだ「阿弥陀堂だより」。もう次の展開や台詞も知っているのに、読むたびに感極まり、涙を流して、その度に少し心が清く、楽になるのでありますよ(おうめ婆さんの口調で)。