風流人日記

医王整体院 院長のblog

その心配、ほんとに必要ですか?

081231k10d15149_2

 バンクーバーオリンピックが真っ盛りですね。テレビにかじりつき、力のこもった応援で肩を凝らしている方もいらっしゃることでしょう。 私も浅田真央ちゃんのファンですから、ぜひともいい演技をしてほしいと願っています。

 いや、今回はその「ファン」ではなく、「ふあん(不安)」についてのお話です。

 先の分からない人生、どんな人でも不安になるのは当然です。心配の種は尽きません。たとえ力のあるオリンピック選手といえども常に不安は付きまとうものでしょう。むしろ能力が高いほど回りの期待の大きさに比例して不安も大きいことだと思います。

 スポーツだけでなく、人生とはまさに不安との戦いと云えるかもしれませんね。

 世の中分からないことだらけですが、ひとつ確かなことは、もともと不安はそこここに存在するのではなく、自ら作り出すものだということです。ここにはないものを勝手に頭の中で想像して作り上げているだけです。その時になってみなければ分からないことを、ああなりはしないか、こうなりはしないか、とあれこれ思い浮かべては心配するのが人間です。

 失敗するかもしれないといった悪いイメージばかり想像するのが得意な人、反対にきっとうまくいくといういいイメージを上手に作れる人、そこのところがプレッシャーに強い人弱い人の分かれ道かもしれません。

 努力逆転の法則といって、しくじってはいけないと、肩に力を入れてがんばればがんばるほど、失敗する確率が高くなります。ですから、どうせ分からない先のことなら、いいイメージを持った方が楽だし、そのイメージ通りにうまくいくことが多いようです。

 また、よく上手くいくかどうか不安だから用意周到準備をする人がいます。私も以前はそうでした。しかし、それですべて予定通り上手くいくとは限りません。だいたいが台本どおりにはコトは運ばないし、それで不安がなくなることもありません。むしろ今度は思い描いたようにうまくいくかどうかが不安になるのです。そして、シミュレーション通りにやることばかりに気持ちがいってしまうと、その過程を味わったり楽しむことさえできません。

 沖縄には「なんくるないさ」という言葉があります。「なんとかなるよ」というような意味です。それは決して投げやりな態度ではありません。貴方も私も一人ではないよ、どんなに苦しくても追いつめられても力を合わせればなんとかなるんだよ~、という沖縄の人たちが長い歴史の中で身につけた確信に満ちた暖かいお互いを励ますメッセージなのでしょう。なにかにお任せしておけば、きっとうまくいくという、人知を超えた大いなる力を信じる心かも知れません。

 

 あなたはいま、しなくていい心配までしていませんか?

 ちょっとその心配を一歩離れたところから眺めてみて、心配の種はなくならないけれど、その種を寄せ集めて「自分で不安を作り上げていないかどうか」を確認するだけでも、少し気持ちが違ってくるのではないでしょうか。どうなるか分からないから心配し不安になるのですが、分からないのが当然、分からないものなのだと覚ることです。

 不安や心配事のない人などこの世にいません。すべての人が不安や悩みを抱えて生きているのです。 違うのは、「心配事があるということと、心配すること」を分けて考えられるかどうかです。たとえ心配事はなくならなくても、いつも心配ばかりすることをやめることは、考えようによってはできるのです。

 実は今月は書くネタに行き詰まって、さてどうしようかと困っていました。べつに出版社に頼まれた原稿でもありませんから、急かされることもないので、ひと月くらいパスしようかと思っていたのです。でも、切羽詰まるとなんとなく出来上がってしまうところが、やっぱり「なんくるないさ~」的ですね。

 ああでも、こんな楽天家を絵に描いたようなことを云って、分かってもらえるかなあ~、、、不安だ不安だ~。(笑い)