風流人日記

医王整体院 院長のblog

気功的忘年会

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 光陰矢の如し。うかうかしていたらこのブログも11月はポッカリ穴をあけてしまいました。

 まあ、どのみちいつもゆっくりとしたペースですが、、、。

 忘年会のシーズンですね。この忘年会というもの、いつ頃から始まったのか知りませんが、(気候的にも気功的にも)とてもいいことだと思います。年の終わりにその一年を振り返って、「いろんなことがあったなあ、でも無事に一年が過ごせてよかったよかった」と、なにかに感謝しながら来る年もいい年になるよう祈る行事なのかも知れません。

 気功は「いま・ここ」を感じ続けることを目指すわけですから、過去を忘れ、できるだけ先のことも考えず、ひたすら今に生きる訓練です。ですから気功的にいうと、その一年ももう過去のこと。忘れ去ったことをことさら振り返る必要もないわけです。

 でも人間というものはいつまでも過去を引きずったり、行く先を案じたりする動物です。たとえ気功的に「いま・ここ」を感じ続けながら暮らしていても、意識に上らない様々な出来事に対する感情を無意識の領域に記憶しているものです。

 そんなことからも、やはり一年という単位でその年を総括し、棚卸しする行事が必要なのかもしれません。いわば年の瀬に、積み重なった様々な記憶を自分なりに整理し、一度リセットするということなのでしょう。

 無意識の領域に溜まった自分の中で完結していない出来事や感情は後々まで尾を引くことがあります。そしてそうした未完の感情は、何かの拍子に心の表面に顔を出し、知らず知らずのうちにカラダに影響を与えたりします。

 ですから一年に一度の忘年会もいいのですが、できれば毎日少しでもカラダと心の整理整頓をすることが大切で、それには気功が役立つと思います。

 気功には、さまざまな動作によってカラダの再編集を行う動功と、静かに立ったり座ったままで深い呼吸によって脳を休め、こころを安定させる静功があります。静功には段階がありますが、まずは長い吐く息とともにカラダの力を抜き、脳をリラックスさせて心の波を鎮めていきます。

 気功というと「気」について語らなければなりませんが、「気」とはなにか?と訊ねられてもひと言では答えられません。「気」は、とても感覚的なものであって、それだけに言葉で説明することの出来ない、頭ではなく、心とカラダで感じる「なにか」なのです。

 あえて言葉にするなら、心と身体、心理作用と生理作用を結んでいる未知のエネルギーということができるかもしれません。心身の相関関係を見ていく上ではなくてはならない概念なのです。 

 それは近代科学が置き去りにしてきたものです。いや、まだ今の科学では追いつけない領域なのかも知れません。

 気功が何にも増して優れているもの、万能の方法だとは云いませんが、私は生きること自体が気功だと思っています。そして、気功的生き方をする方が自然で楽な方法だと思うのです。

 一日にたとえ5分間でも静かに自分と向き合い、自分のカラダの内なる声を聞く時間を持つこと。それが気功的な時間です。短い時間でも自分の内面に目を向ける習慣ができると、それは日常の生活にも必ず活きてきます。そして生活そのものが、常に「いま・ここ」を感じながら本当に自分が望む大切なことに向かって歩み続ける気功的生活に変わっていくのだと思います。

 それは、「どうせ・・・」という思い込みを外すことだとも思います。「どうせ」と思ってやっていると、いつもと同じものしか見たり受け取ることができません。でも、その思い込みを外していつものことに向き合うと、きっと違ったものが見えてくると思います。

 気功は一見同じような日々を、常に新しく感じさせてくれるものです。

 来年も気功的生活で、「いま・ここ」を大切に暮らしたいと思っています。

 今年も大変お世話になりました。

 どうぞお元気で、良いお年をお迎えください。