風流人日記

医王整体院 院長のblog

簡単に助けない ・・・カウンセリングってなに?

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 今回は日頃カウンセリングをしていて感じることを書きます。

 カウンセリングを受けると抱えている悩みに対する答えを教えてくれてすぐに楽になれると思っている方が多いようです。ところが本来のカウンセリングは、その人が抱えている問題から逃げずに自ら考え立ち向かい乗り越えて行く支えになることです。逃げ道を教えたり簡単に楽になる手段をアドバイスするのは、一時的にその人を楽にすることはできても、長い目で見て決して本人のためにはなりません。 

 手取り足取り教えてあげることが親切のようにも見えますが、実はそうしてしまうのは相談を受けるもの自身がしんどさから逃げ、楽になりたいからだと思います。人は目の前で苦しんでいる人を黙って見ていることができないのです。

 ときどき悩むことを悪いことと思っている人がいます。あまり自分を追い詰め過ぎてはいけませんがが、悩むこと自体は決して悪いことではないと思っています。ひとりで悩み、行き詰まったときに、きちんと問題に向き合い深く考え悩める環境、つまり「安心して悩める状態」を作って上げることが本当は大切なのではないでしょうか。

 たしかに誰も好んで悩みたくなどないわけですが、この世に生きている限り悩みがないことなどありえません。悩みながら少しずつでも答えを見いだしていくことが、生きていくうえでの知恵を得、大きな力になっていくんじゃないでしょうか。

 相談を受けた人が自分の体験や教科書的な答えによって、こういう場合はこうすることが一番の方法だと教えてしまうことは、その人から悩むことを奪い、思考を停止させてしまうことにもなります。

 もっとも、最初から唯一の正解などないのですから、教えることすら困難なのですが、、、。

 ただ、いくら考えても悩んでも答えが出ない時に、本当はなにが問題なのかという問題の本質を間違って捉えていないかどうかを吟味する必要があります。そこを間違っては解決するものもしないし、永遠に納得に至りません。

 カウンセラーはそのことを少し高い位置から俯瞰することが大事で、仮に一緒に悩み考えてあげることしかできないとしても、まず本質的な答えに遠ざかる方向から軌道修正してあげることが大事な仕事だといえます。

 人は根底にある問題のテーマに気づかず、目先のことにばかり目を向けていることが多々あります。いま直面している悩みに振り回され、その奥にある根源的な問題を見逃しているのです。だから、簡単に目先の問題を解決してしまうと、一時晴れやかな気持ちになれても、根本的な原因は何も変わらないのですから、同じような状況になると再発する可能性が高いのです。

 これはなにか現代医学と東洋医学の違いに似ているような気がします。いわゆる対症療法と根本療法との違いです。血圧が高いといって薬で下げたり、症状の出ている一部分を見るのではなく、症状の根源を探るわけです。それを辿ってゆくと、ほとんどの場合、食事を始めとした生活習慣やその人のものの考え方に辿り着きます。 

  色々な問題は他所から来たと思っている人が多いのですが、実は本人自身が作り上げていることがほとんどです。同じ出来事が起こっても、それを苦にする人もいれば、大きな問題だと思わない人もいます。つまりその人のものの考え方によっていいも悪いも決まるわけです。問題を作ったのが本人だとすれば、解決できるのも本人です。しかし、本人はなかなかそれに気づかない。そのとき、その手助けをしてあげるのがカウンセラーです。だから、カウンセラーも自らの思考や論理を捨ててその人に出会わなければなりません。自らの論理を押し付けていてはその人自身が自分の思考や論理の歪みに気づけない。自分の考えに導くだけではその人は納得しないし、自分の足で前へ進んで行くことができないのです。答えはその人自身が持っているのです。

 人はときに杖となって支え、ときに行く先に光を照らし、手を差し伸べてくれる人がいれば、自分で乗り越えて行く力を持っているのです。ですから、もがき苦しむ人のために他者ができることは、ひたすら耳を傾け、いっしょに泣き、悩み、苦しむことしかないのではないでしょうか。だから、特別カウンセラーと名の付く人でなくても、それさえ分かっていれば誰にでもできることです。いや、むしろ特別な知識などないほうがいいのかもしれません。心の底から悩んでいる人のことを想い、その人の身になって苦しみながらいっしょに歩んでいくことのできる人ならば、誰でも困っている人の力になれるのです。

 いろいろなケースを見ていても、そんな安定した支えがあれば、そのうち目の前の悩みばかりにとらわれていないで、別のことに興味の対象が移っていくことがよくあります。

 その時点でもう受けとめ方が変わっているのです。その人の前に立ちはだかっていたかにみえる大きな壁は、自然に消えていたり、あるいはちょっと苦い良薬だったと思えるようになるのでしょう。