風流人日記

医王整体院 院長のblog

自分を変える

Qjxl_vwv  「こうすればあなたは変われる」とか、「自分を変える○○の方法」等々、実に様々な本が出ています。今日からはこうしよう!こういうやり方はやめよう!と、とても具体的に教えてくれます。それだけ自分を変えたいと思う人が多いということなのでしょう。いや、変えなければならないという強迫観念に駆られている人、といったほうがいいのかもしれません。

 他人を変えることなどできない、それなら自分を変えるほうが手っ取り早い。今よりもっといい自分に変わりたい。そう思うことは決して悪いことではありません。しかし、絶対自分を変えるべきだという強迫観念はちょっとしんどいですね。 
 「諸行無常」という言葉があるように、人も含めて、この世界のあらゆるものは変わります。なにひとつ、変わらぬものなどない。それが自然というものです。そのことをもっと知るべきだろう、と思うのです。

 変われないという人を見ていると、なにか肩に力を入れて変わるまいと踏ん張っているように見えます。自分(自分の考え)を固定化しているような気がします。でもやっぱり、頭のどこかで変わりたいと思っているのです。だって、変わらないということは、自然の法則に逆らっているわけですから、しんどいんです。変わらないぞ!と踏ん張る心と、変わりたい!と思う心が均衡して釣り合っているから、その状態で留まってしまっているのです。そして、このままではいけない、変わりたいという気持ちが少し優勢になって変わる方向へ動き出しても、ちょっとやそっとで変われるわけがないと思っているから、またまたそこで力が入ってしまうんだと思います。力むと空回りして、また元の固定した均衡状態に戻ってしまう。そこでまた、いやこれではいけない、私は変わるんだ!そうしなければならない、という悪循環に陥り苦しみを生みます。

 こうあるべきという対象を外に求めるより、自分の中に眠っている別の自分や、内に宿る力に気づくことができたら、そんなに苦しまなくていいんだと思います。
 そのためには、自分の中でもそうですが、人と比較して力まないことです。他人の良いところを見習うのはいいけれど、同じである必要はなにもない。人が自分と違う部分は、実は自分も持っている自分の別のある一面なのです。
 いま目覚めている自分の一部分だけをとり上げて判断せず、あらゆる可能性を含んでいるトータルな自分に気づき、好きになることが肝心なんじゃないでしょうか。

 いまの自分でいいのです。ただし、いまの自分がもっとたくさんの可能性を秘めた全体の一部であることさえわかっていれば。
 変わらなければならない、と思っているその考えを変えたほうがいい。
 なにが幸せかなんて、考え方次第なんですね。ですから、自分を変えるということは、自分の考え方のクセに気づいて、考え方のパターンをたくさん持つということなんじゃないでしょうか。ひとつの考え方やいまの自分に固執せず、からだの力を抜いて、様々な可能性のパターンを自然の流れに沿って当てはめていけば、そんなに力まなくても変わっていくんだと思います。

 「現実を変えられないのだから、現実を見る目を変えよう」という、ニコス・カザンザキスの言葉があります。
 自分が変わるということは、ものの見方を変える、いろんな見方が他にもたくさんあるということを知ることなんじゃないでしょうか。
 私も自分がいやで変わりたいと思った時期がありました。いろいろ本を読んだり、目指す人を見習ったりしましたが、こういう考え方が一番しっくりきて、そう考えるようになってから、楽になりました。もちろん、私の言ってることや経験が一番とはいいません。もしあなたもしっくりきたら、試してみてください。