風流人日記

医王整体院 院長のblog

ユーモアが福を呼ぶ

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 前回はビリケン的健康法と題して、笑顔を絶やさないビリケンさん的生き方が健康を支えるのではないかということを書きました。笑うことがどれほど健康にいいかという研究が進んでいます。科学的にも、笑うことによってがん細胞などを叩くNK(ナチュラルキラー)細胞が活性し免疫力が高まることが明らかになっているそうです。

 日々頭を悩ますさまざまな出来事が起こり、笑ってばかりいられないこの世の中ですが、ドイツには「ユーモアとは、『にもかかわらず』笑うことである」という諺があります。この「にもかかわらず」というところがいいですね。ユーモアは愛情の表現であり、微笑みを示すことは自分の元気のためだけでなく、相手に対する思いやりでもあるそうです。

 今回は「ユーモア」ということについて、印象に残っている話を二つご紹介したいと思います。

 人間の弱さと底知れぬ強さを綴ったヴィクトール・フランクルの、ナチの強制収容所体験記「夜と霧」は、今も世界中で読み継がれていてご存知の方も多いと思いますが、その中にこんなことが書かれています。

 ーーーーユーモアは自分を失わないための魂の武器だ。ユーモアとはほんの数秒間でも周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために人間という存在にそなわっているものなのだ。

 ユーモアへの意志、ものごとをなんとか洒落のめそうとする試みは、いわばまやかしだ。だとしても、それは生きるためのまやかしだ。収容所生活は極端なことばかりなので、苦しみの大小は問題ではないことをふまえたうえで、生きるためにはこのような姿勢もありうるのだ。

 人間の苦悩は気体の塊のようなものだ。ある空間に注入された一定量の気体のようなものだ。空間の大きさにかかわらず、気体は均一にいきわたる。それと同じように、苦悩は大きくても小さくても人間の魂に、人間の意識にいきわたる。人間の苦悩の「大きさ」はとことんどうでもよく、だから逆に、ほんの小さなことも大きな喜びとなりうるのだ。(下線は筆者)

 「死と向き合う哲学」で有名なアルフォンヌ・デーケン氏の体験談にも、ユーモアに関する興味深い話があります。

 ーーーー11人の子どもを育てた91歳のお母さんが、医師からもうわずかな時間しか残されていないと告げられた。もう話すこともできない母親のために家族みんなで祈りを捧げた。祈りが終わるとお母さんは、「私のために祈ってくれてありがとう。ウイスキーを飲みたい」と言って家族を驚かせる。普段あまり飲まないウイスキーをグラスに少しだけ入れて渡すと、今度は「ぬるいから氷を入れてください」と言う。それをおいしいと言って飲み干すと、今度は「煙草を一本吸いたい」と言います。家族は医者が煙草を吸うのはいけないと言っていると伝えると、「死ぬのは医者ではなくて私なのです。煙草をちょうだい」。そして煙草を吸い終わると、皆に感謝して、「天国で又会いましょう」と言って静かに息を引き取った。

 最後のウイスキーと煙草は決して飲みたいということではなかったのです。お母さんは11人の子どもを育てながら、いつも家族の役に立ちたいという気持ちでいた。最期になってもうなにもできなくなってしまった時も、笑い話で皆にユーモアという愛を残しながら死んだ。家族は素敵な死に方だと笑って見送った。お母さんの人生観は最後までそういう形で表れていたのです。

 このように、ユーモアは温かい空気のように緊張した場を和ませ、波紋のように人の心に伝わって、生きる喜びと力になるのでしょう。そして巡り巡って福

として自分に戻ってくるのかもしれません。どんなに辛い状況の中でも、心の片隅にはユーモアの心を持っていたいものです。

 それは必ずしも笑わせることでもなく、気のきいた言葉である必要もなくて、相手を思う気持ちや心からの微笑みでいいのだと思います。