風流人日記

医王整体院 院長のblog

数値社会の健康管理

110712k7_70300_p7561 子供の頃から勉強では試験の点数、体力測定では身長体重がどれくらいか、50mを何秒で走れるかなど、私たちは数値とともに生きてきました。それは人と比べて自分はどういう位置にいるのかという判断材料にもなるし、また自分自身の成長や今の状態を知るためにも必要なことかもしれません。社会に出ても、会社の業績は数字で表され、個人も勤務態度や成績を数字で管理されて、それが給料に反映されます。こんなふうに現代は、子供も大人も数字に一喜一憂し、それに左右される世の中です。

 今回は健康管理というタイトルですが、この管理という言葉自体が数字を基にしている場合が多いですね。なんらかの基準があったほうが分かりやすいということはよくわかります。しかし、カラダのことを考えた場合、体力や数値と健康はイコールでしょうか。体重が標準以上でも、足が遅くても、血圧が少しくらい高くても、気持ちも体も元気で日常生活をおくることができているなら、それは健康と言えるのではないでしょうか。

 あまり数字にこだわってしまうと、数値をよくすることが目的になってしまわないかと心配です。健康のために薬を飲んだり、ジムへ通ったりランニングをしたりするのはいいですが、数値をよくすることや記録を伸ばすことが目的になってしまうと、体を動かしていい汗をかく喜びや、日々の暮らしを楽しむことが置き去りにされてしまうような気がします。

 元気や病気という目に見えないものを数値化しようと進歩してきた現代医療ですが、心身ともに喜びを感じられる本当の健康は、数字で表せるものではありません。数字が一人歩きしないように気をつけなければなりません。

 また、体調には波があります。どんなに動き回ってもすごく調子がいいときもあれば、いくら寝ても疲れがとれないときもあります。しかし調子の悪いときがあるというのを不健康と言えるでしょうか。病気や医療について造詣が深い歴史家の立川昭二さんは「気の日本人」という本の中で、「高調のときばかりがいいのではありません。低調なときは、つぎに来る高調を準備するためにある過程ですから、低調な時期も必要なのです」と述べています。

 生きているということは変化し続けているということです。いつも適正な数値でいられるとは限りません。健康のバロメーターを数値にばかり置いていると、正常値でなければならないという強迫観念に縛られてしまい、運動することや食べることなど日々の生活が味気ないものになってしまいます。

 この数十年、私たちは様々なシステムに管理され、効率を求められ、生きる上でなにが大切かということを忘れていたのではないでしょうか。数字に基づく速さや強さや正確さを追い求めることが幸せにつながるという勘違いをしていたような気がします。

 健康な体を目指す場合でも、数字を過信せず、あまりマニュアルにこだわらないほうがうまくいくのではないでしょうか。自分自身の実感を大切にし、いろいろ工夫をしながらやったほうが適切な判断ができ、その過程を楽しめると思います。楽しさや遊びの要素を取り入れることが、ゆとりのある活き活きとした暮らしを生み、本当の健康につながるのではないでしょうか。

 数値で管理するというよりも、数値に管理されてしまっては、元も子もありません。

 効率主義や数字に振り回されるのは、もうやめにしませんか?