ときめいてますか?
近頃、ときめいたことがありますか?「ときめき」はイキイキと生きるための原動力じゃないでしょうか。何かに出会って感動することがモチベーションを高め、次の行動へと繋がるんだと思うんです。
感動は脳に優しい傷がつくこと。その傷がだんだん治っていく過程で脳は成長していく。すごく感動したことは長く記憶に残る。これは神経細胞のネットワークに変化が起こっているということ。身体の傷が治るのと同じように、脳が元に戻ろうとする力で新しい自分になっていく。
ときめいたり感動することによって、どんどん自分の中身が変わり、成長していくのだと思います。それは歳をとったからといって変わるものではないんじゃないでしょうか。
たしかにさまざまな経験を積みながら歳を重ねていくと、ちょっとやそっとのことでは感動しなくなりますが、そのぶん、きっと見かけだけでなく、その奥に秘められた深いものに反応するのかもしれません。ですからいつまでも好奇心を持ち、感動する心を持っていたいと思います。
それが元気の元です。
今回は私が最近ときめいた出来事を書いてみたいと思います。9月のシルバーウィークのことです。海に沈む夕陽が見たくて秋田の男鹿半島まで出かけました。ほとんどを治療室で過ごす毎日ですから、無意識のうちに開放感とトキメキを求めていた心が、日本海へと向かわせたのかもしれません。
ところが現地に着いてみれば前日までの秋晴れがウソのように次第に厚い雲に覆われてきました。期待していたのは燃えるような真っ赤な太陽と、それに染まる海と空でしたが、残念ながら待てども晴れる気配はありません。それでもせっかくはるばる北の海まで来たのですから、雲の下に静まり返った少し寂しげな海もまた良しと、気持ちを切り替えてカメラを取り出しました。
しばらくシャッターを切っていると、期待を裏切られた重い気持ちを象徴するかのような鉛色の海を、一瞬途切れた雲間からの陽光がスポットライトのように照らしました。
ハッとし、心がときめきました。
海全体を照らすのではなく、一隅を照らすその光はまるで神様が操る舞台照明のようです。それは「待てば海路の日和あり」という題の、仕組まれた芝居のようにも思えました。ああ、来てよかった。
しっかりと記憶に残るように何度も何度もその光景を眺めては夢中でシャッターを切るという繰り返しでした。
そんな感動的な情景に釘付けになっているうちに、ふと気がつくと、もうまわりに人はいなくなっていました。少しずつ暗くなっていく現場にいると、暗いということに気づかないというのも不思議な体験です。
そしてもう一つ思いがけない感動を味わいました。もう暗くて写真を撮るには限界ですから、車に戻ろうと最後にもう一度遠い空に目をやると、雲の割れ目からうっすらと三日月が顔を出していました。
夕暮れの空に溶け込むように微かな光を放つ月は瞬く間にまた雲の中に消えていきましたが、この日の最後に素敵なプレゼントをもらいました。
思わず心の中で手を合わせていました。