風流人日記

医王整体院 院長のblog

こころの交流戦

セ・パ交流戦が終了した。経営者側としては損得勘定もあり悲喜こもごもの胸のうちだろうが、ファンからは概ね成功という評価が聞こえる。
私自信は最近見たい選手や見たい対決が少なくなり、あまり熱心に観戦することがなくなってしまったが、時々テレビをつけて交流戦をやっていると、確かに新鮮味は感じた。選手自身がいつもと違った環境の中でプレイしている緊張感とヤル気と新鮮さが伝わってくるような気がした。

難しいから、大変だから、という理由でなんでも避けて通っていたら、なにも新しいものは生まれてこない。困難にあえて挑戦するところに、今まで眠っていたものが姿を現す。
これまで使ってきた能力や慣習だけでもこの先そこそこにやっていけるかも知れない。しかし、短い人生、それではもったいない。からだの奥に眠っている未知の能力が開花した時、人は生きる喜びを感じるのではないだろうか?
先日もテレビで指揮者の佐渡裕さんが「どんなときに指揮者としての喜びを感じますか」という質問に対して、「練習の時からどんな音を皆で作っていこうかと試行錯誤するのだが、実際の本番で考えていた以上の音が生まれることがあります。そういう時に大きな喜びを感じます」と語っていた。

今回のプロ野球交流戦も、球団の合併問題というところから端を発し、さまざまな困難を乗り越えて実行に至ったわけだが、これをひとつの例にとっても、困難というものが如何に「なにかを変えるチャンス」であるかということがわかる。
自分の中に閉じこもっていては新しいチャンスは生まれない。他と交流することによって初めてそれぞれの内に潜んでいる可能性の芽に刺激が加わり目覚めてくるのだと思う。
すべてが変化する世の中で、交流しない「ひとのこころ」は、そこにエネルギーの停滞を生み、歪みが生じてくるのだろう。
「こころの交流戦」が少なくなった世の中は、閉塞感を感じる。

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