風流人日記

医王整体院 院長のblog

MOTTAINAI

Jrs5j0cq  ワンガリ・マータイさんが提唱した「『もったいない』を国際語に」という呼びかけが、大きな波紋を投じています。
 普段われわれが何気なく使っているこの言葉ですが、他国の人から改めて指摘されることによって、その言葉が持つ意味の深さを再認識します。もっとも、最近では当の日本人の口からは「もったいない」という言葉はあまり聞かなくなったし、最早その心さえ失われつつあるからこそ、かえってわれわれの耳に響くのかもしれません。
 折角こんな趣のある言葉を持っているのに、言葉とともに感覚させ失ってしまうこと自体が、ほんとに「もったいない」。

 この「もったいない」と思う心の喪失は、モノに限ったことではない。整体の立場から言わせてもらうと、身体に関しても、とても「もったいない」使い方をしているのです。
 あらゆることが便利になり、というより、もうそれを通り越してサービスがきめ細かく行き届きすぎ、多くのことを機械がするようになって、個人のする動作がとても単調になっているような気がする。
もう、ビルでは階段がエレベーターやエスカレーターに隅に追いやられ、でこぼこ道なんて探さなければ歩けない。和式トイレで深く膝を曲げて腰を落とす姿勢をとることはない。からだを動かし続けて疲れることなどまずない。そうこうしているあいだに、関節は硬く動きが悪くなり、筋肉も弱り、全身のバランス感覚も衰える。頭ばかりを過剰に働かせているのです。
 直立歩行から人類が誕生して以来、脈々と培われてきた運動能力が、ここへきて
どんどん退化していくような気がしてならない。
 そして、オリンピック選手などの運動能力としては頂点の人たちは、科学的トレーニングを取り入れて限界近くまで身体を使う反面、一般のひとは便利に頼りすぎてますます身体能力を落としていく、という両極化が進んでいる。
 別に誰もがオリンピックを目指すわけでもないから、そこまで徹底的に鍛える必要はありませんが、少なくともせっかく持って生まれたからだを十分に使わないと、「もったいない」と思うのです。
 使うとエネルギーを消耗して「もったいない」、と考える人は少ないと思います。楽をしたいから使わないのだと思います。でも、身体は全身のいろんな部分を適度に使わないと楽にはなりません。
 むしろ楽をさせすぎると、しんどくなります。