風流人日記

医王整体院 院長のblog

失って分かること

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 今月の「こころとカラダにちょっといい話」は何を書こうか、あれにするかこれにしようかと迷っている最中、パソコンが故障しました。災いは忘れた頃にやってきます。発行が遅れる言い訳ができたと喜んでいるのも束の間、他のしたいことができないイライラがどんどん積み重なってちょっとしたストレス状態に陥りました。人には機械に頼るな、自分の体を使えと偉そうに言っている自分がこれほどパソコンという文明の利器に依存していたのかと、情けないやら飽きれるやら。代わりのマシーンが届いてようやく今これを書いているところですが、 そんなトラブルを話のネタにするところが、転んでもただでは起きない図太さです(笑い)。

 さて、パソコンが使えなくなるとどうなるかいうことですが、まず困るのが日々当たり前のようにしていることが当たり前でなくなるということです。日常公私にわたって自分の手足のように、また頭脳の一部として働いてくれているパソコンが突然壊れてしまうと、そこでやっとその存在や働きの有り難さを痛感するのです。

 機械は修理が利いたり、もしそれが不可能な場合でも買い替えるということができますが、これが本当の自分の身体の一部だとしたらどうでしょう。それを考えると、当たり前と思っている身体の日々の営みがいかに有り難いことかということに気づきます。

 もう一つの困ることは、これまで蓄積してきた過去のデータが一瞬にして消えてなくなるということです。幸い今回はデータは全て別のところにバックアップをとっていましたから助かりましたが、これも生身の人間に置き換えると、一切の記憶を失ってしまうということですから大変なことです。

 でもこの記憶をなくすということについてはちょっと考えさせられました。私たちは生まれて以来、日々学習し、様々なことを身につけていきます。ただ、この記憶というものは、記録として頭の中や心の奥に残っていくものもあれば、身体が記憶するものもあるんだと思います。身体が覚えたものはおそらく一生忘れることなく身についているものでしょうから、記憶を失ったといっても食べ方を忘れたり、歩き方を忘れるということはまずないと思います。巧くしたもので、どちらも困ったことには違いありませんが、人間が生きるための最低限のことは、記憶をなくしてもちゃんとできるのです。

 それとは反対に、頭や心の記憶は自分一人のものではありませんからとても困るということです。

 時間をかけて大事に積み上げてきたあの人との関係この人との関わり、楽しかった思い出も辛い過去も一瞬にして吹き飛んでしまうと、これはもうどうしようもありません。自分の生きてきた証がなにもなくなることほど寂しいことはありません。

 また、失うと困る記憶は、自分だけのものではなくて、すべて誰かと、何かとの関わりの中で生まれたものです。だから、自分自身が仮に喪失に耐えることができても、関わった他人にまで影響を与えてしまいます。

 記憶はどんなことも、誰にとっても大切なものなのです。いやな記憶はリセットしてしまいたいと思うこともありますが、それも夢ではなく、失って初めて分かる自分の大切な記憶の一部なのです。その部分だけなかったことにしようなんて虫のいい話は通用しません。

 こんなふうに、この世の中はすべてが関わりの中で生じる出来事で成り立っているのだなあと感じるとともに、改めて一人ひとりとの関わりや出会いを大切にしていこうと考えた次第です。

 そして、当たり前と思っている身体や健康、日々に感謝しながら生きていきたいと思いました。少し衰えの出始めた身体も、毎日黙々と働いてくれているのです。