風流人日記

医王整体院 院長のblog

小さな買い物と大きな感動

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 先日とても感動的な出来事がありました。聞きようによっては、そんなこと当たり前のことで、取り立てて言うほどのことでないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、この殺伐というか暖かい心の交流が失われた社会になれてしまった私にとって、忘れられない思い出となった出来事だったので、皆さんにもお知らせしたいと思った次第です。それほど今の世の中は当たり前のことがめずらしく感じられる狂った時代なのかもしれません。

 さて前置きが長くなりましたが、そろそろ来年の手帳を買いに行こうと出かけたときのお話です。
 昨年、神戸の東急ハンズで買った手帳がとても気に入って、今年も同じものを買おうと思って、今年京都にオープンした東急ハンズに行きました。ところが同じものが見当たらず、仕方なしに他の店を数件訪ねてみましたがどこにもありませんでした。そして辿り着いたのが高島屋です。これまで文房具を買うのにデパートを利用したことはなかったのですが、まあ一応見てみるかと思って立ち寄ったのが吉と出ました。いや、その売り場にも探しているものはなかったのですが、とても親切な店員さんに出会えたのです。
 同じメーカーの柄違いがあったので、それを見せて、これと違う表紙のものがないか尋ねました。するとまあここまではよくあることで、ちょっと親切な人ならいっしょに探してくれたり、バックヤードの在庫を見てくれたりはするのですが、それさえしてくれず、つっけんどんに「ありません」というような対応が多いだけに、その店員さんのその後の対応に驚いたのです。

 売り場の在庫を確認してもらった結果、「あいにくお探しのものは扱っておりませんので、ほかの店にあるかどうか訊いてみましょうか?」と言ってくださいました。私はてっきり大阪かどこか近辺の高島屋に訊いてくれるのかと思ったら、なんと京都の東急ハンズやロフトに電話してみますとおっしゃるのです。まったく自分の会社と関係のない他所の店です。その言葉で、ちょっと大袈裟ですが衝撃が走りました。なんという人だと。それは店の教育なのかその人の個人的な臨機応変な対応なのかはわかりませんが、自分のところの利益しか考えない店や人が多い昨今を思うと、とにかく私はいたく感動したのでした。

 これこそが究極の接客というものではないか。私がよほど困った表情をしていたのかどうかわかりませんが、探しているものが見つからなくて困っている客の身になって、なんとかしてあげようという気持ちが躊躇なく行動に現れるというのは、本当に素晴らしいことだと思いました。これは簡単なようでなかなかできません。ついついその店の通り一遍のマニュアルに添ってしか行動できない人が多いのです。そのことは自分自身にも問いかけました。はたして自分はそこまで親身になって人と接しているだろうかと。

 私たちはつい自分の利益を優先にものを考えます。また、こんなことをしたら上司に叱られるかもしれないなどと、お客さんより自分の立場を大事にしてしまいます。損得勘定がまず働くのです。大切なことは、なにかを頼まれた時に、こうしてあげると相手がなにを思いどう感じるかを、一度我が身に置き換えて考え、再び相手の立場に立って、こうすれば心から喜んでもらえるという行動をすることなのでしょう。
 その店員さんは、きっと日頃からそういう思いでお客さんと接しておられるから、そんなことを理屈抜きにできる人だったのではないかと思います。
 人間なんて単純なものだと思います。煽てられれば図に乗り、褒められれば喜び。でも本当に心に響き、爽やかな気持になれるのは、互いの心が通い合ったときではないでしょうか。たとえばたかが手帳ひとつの買い物でも、そこに心の交流があれば、探しているものが手に入った喜びの数倍もの喜びを生むのです。

 それからもうひとつ思ったことは、最近はネットでなんでも簡単に買い物ができるようになりましたが、ときには時間と手間をかけて買い物に出かけるのも悪くないということです。ただし、いつもこの日のようないい思いができるとは限りませんが、、、。 まあしかし、簡単に手に入るより、苦労して探し出した方が喜びが大きいのは確かです。

 能書きはさておき、その日一日、とても気分が良く、世の中が明るく感じられたのは言うまでもありません。