風流人日記

医王整体院 院長のblog

二者択一の危うさ

G9orh5yq 私たち人間は遺伝子に書き込まれた情報の10%も使っていないといわれていますが、それ以外の活動していない90%の部分の役割はまだよくわかっていないらしいのです。
しかし、それは未だ解明できていないだけであって無駄であるとは限らない。たとえ無駄なようにみえても、それは意味のある無駄なのだという見方もあるようです。
すべての遺伝子がフルに活動している状態であれば、万一不測の事態が起こったときに、全体がそのトラブルに巻き込まれてしまう。そういった事態を避けるために、ゆとりを持たせてあるといえるのかもしれません。
また、その90%の未解明の部分には、愛情や憎しみや悲しみといったソフトな遺伝子情報が書かれているとも考えられます。だとすると、無駄どころか生きていく上で欠くことのできない重要な部分である可能性も大きいのですが、今回はここのところの話は置いといて、、、。

ゆとりという意味では、ものの見方や心の持ち方にも、そんな遺伝子のプログラムのような余裕が欲しいものです。
これは個人にも組織にも言えることだと思います。すべてが同じ考え方で同じ方向を向いてひた走っていると、何かの拍子につまずくと総倒れして、立ち直るのが大変になる。どちらへでも方向転換できるゆらぎがあったほうが、臨機応変に対応できるのではないでしょうか。それぞれ違う考えがなんとなく緩やかにまとまっているという柔軟性が大事なんだと思います。
物事には二面性があるものですが、白か黒か、善か悪かと決めつけていずれかを排除してしまうのではなく、どちらもその存在自体は受け入れるべきなのではないでしょうか。
自分にとって都合のいいものだけに目を向けるということは、物事の半分しか見ていないことになりますし、オールorナッシングの考えはしんどいと思います。

健康に良いといわれていることでも、無理矢理やらされるとストレスになり、逆に健康を害してしまうこともあるのです。どんなに体に良い食物でも、食べ過ぎるとお腹をこわします。
また、ストレスは悪役に仕立てられることが多いわけですが、適度なストレスは生命力を高めるといわれています。
健康のためにこれが良いといわれると、目標数値を立てて毎日一生懸命がんばる。いわゆる三日坊主といわれるように、3日続けて4日目に挫折すると、途切れたからもうダメだと止めてしまう。こんな方が多いのではないでしょうか。
目標に向かってがんばるのはいいのですが、途中で「目標こそがすべて」という考え方に変わってしまって、本来の目的を忘れてしまう。
途中に休みが入ろうが、しばらく途切れようが、ゆっくりとプロセスを楽しむやり方のほうが長続きして、ひいては健康を保てるのではないでしょうか。

左脳と右脳、緊張とリラクセーション、静と動など、健康にとってはどちらが欠けても成り立たない、両方のバランスが大事だということです。
江戸時代の高名なお医者さんである貝原益軒は、「養生訓」で「ときに動き、ときに静かなれば、気はめぐって滞らず」といっています。
そりゃあ長い人生、二者択一を迫られるここぞというポイントは、何度となく訪れるでしょうが、そういう時でさえ、いつでも方向転換できる含みを残しながらの決定であってもかまわないと、私は思うのです。