風流人日記

医王整体院 院長のblog

カラダで聴く、カラダを聴く

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 私が写真を趣味としていることは何度も書いていますが、その楽しみの一つはいろんな素晴らしい光景に出会うことです。そんなとき、それは確かに目の前の光景をこの目で「見ている」のですが、しばらくその場にじっと身を置いていると実はそれだけではないことを知ります。その光景から聞こえる音に耳を澄ましたり、そこにある空気や風を肌で感じたり、語りかけてくるメッセージを五感を通して感じるのです。そうしてその光景と一体になっていると、自然に感謝の気持ちが湧いてきます。

 そんな気持ちになれたときは、上手ヘタは関係なく、いい写真が撮れるような気がします。飽きもせず長いこと写真を続けている理由は、どうもそんなところにあるのかもしれません。

 観音様は「音を観る」と書きます。親鸞さんは仏の声を聞くことを「光を聞く」と表現したそうです。人は目から入る情報だけでなく、カラダに染み込む音や温度や感覚などを、カラダ全体で受けとめて幸せを感じるのでしょう。

 朝日新聞に「CM天気図」という天野祐吉さんのコラムが連載されていて、いつも楽しみにしています。CMは社会を映す鏡だといいますが、人々の気持ちを反映したり、逆に見る人がCMに踊らされたりするという点では、テレビの番組以上に影響力があるかもしれません。

 3月11日の震災から数週間はいつも当たり前のように見ている一般企業のCMがばったり途絶え、公共広告機構の流すメッセージがしばらく続いたことも異様に感じました(金子みすゞさんの詩が広く知られたことはよかったです)が、大震災を境にテレビCMも内容が少しずつ変わってきたようです。

 つい先日のその「CM天気図」に「手で考える」というコラムが載りました。「働く手をほめよう」というオロナイン軟膏のCMについて書かれていました。世の中が便利になり、手や足がどんどんヒマになる。そして指先の微妙な感覚が失われていく。頭でばかりものを考え、カラダで感じ、カラダで考えることがなくなっていく世の中だ、という主旨の話です。

 日頃もっとカラダに目を向けようと言い続けている私にとっては強い味方を得たという感じです。

 その数日後のこと、11月10日は「いい手の日」ということで、新聞にユースキン製薬の広告が一面をとって掲載されました。ここでも「がんばる手に、ありがとう」というコピーが目を引きました。

 こういったことを感じている人はこれまでも潜在的には多かったのでしょうが、科学技術一辺倒の時代、日の目を見ることはありませんでした。ところが震災を境にそれまで無関心だった人も次第にカラダを含めた“自然”に目を向け始めたのだと思います。

 「いい手の日」にいつもがんばっている手に目を向けることを促すというのは、とてもいい広告だと思いました。願わくば年に一回だけでなく、一日に一度でもカラダを気遣う習慣をつけたいものです。みなさん忙しい毎日でしょうが、たとえわずかな時間でも、頭だけで考えるのをやめて、全身を使って何かを感じる、そしてカラダの声を聴き感謝をする習慣を身につけると、きっとカラダはそれに応えてくれると思います。そして自分の中のなにかが変わっていくと思います。

 われわれは頭を使って科学技術を発展させその利便性に依存していくうちに、いつのまにか危険をカラダで直感する能力が衰えてしまったような気がします。

 3.11は、科学が何でも解決してくれるという期待はちょっと横に置いておいて、いま自分のカラダが何を望み、何を訴えかけているのかを注意深く聴くという「原点に戻る機会」なのかもしれません。