風流人日記

医王整体院 院長のblog

本当の自分

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 「本当の自分じゃないような気がする」とか、「本当の自分に戻りたい」というお話をよく聞きます。
 本当の自分っていったいなんでしょうか?
 「本当の自分」なんてことを言ったり考えたりするのは、たいてい気持ちがちょっとしんどくなった時です。誰かに非難されたり、こうしなければダメだと釘を刺されたりして、あれっ?今の自分は間違っているのかなと、不安になり混乱している時ですね。
 そうすると、今のありのままの自分がどんどんしぼんでいって、正しい自分を捜したり、周囲の要求に応えるべく別の自分像を作り上げてしまったりして、息苦しくなっていくのでしょうね。
 そこでまず考えないといけないのは、いったい「本当の自分」などという確固たるものがあるのかどうかということです。
 この世に唯一無二の自分が存在することは間違いのない事実ではありますが、そこに「本当の」が付くと話がややこしくなるようです。本当ってなんだ?ということですね。

 心理学では自我という意識の中心になるものがあって、それをエスという無意識の働きと、超自我という自我を規制する働きがあり、それぞれの相互作用でこころが機能しているという考え方があります。
 エスという無意識のレベルでの〜したいという様々な欲求のアクセルを、〜してはならないとか、こうあるべきという超自我のブレーキで押さえ込んで、暴走しないように働きかけているということです。
 しかし人間は、ノーブレーキで欲求を暴走させては大変なことになりますが、いつもいつも欲求を押さえてばかりいても息苦しいしのです。また、自分はこうしたいんだけど、まわりの「ああしろ、こうしろ」という要求に応えることもしなければならないという、いわゆるアクセルとブレーキを同時に踏み続けなければならない状態が続くと、クルマは壊れてしまいます。これが葛藤とかストレスといわれるものです。
 この考え方からいくと、自我も超自我も欲求の源であるエスも、どれも自分の一部なのです。その特定の部分だけをとりあげて、これが自分だということはできないのだと思います。
 もちろん自己規制の働きが強い人や欲求を常に満たしていなければ気がすまない人など、その程度の差は千差万別です。

 「本当の自分」は「こうあるべき」とか「こうでなければならない」という一つの姿ではなく、その時々で変化する自然で自由な姿なのだと思います。
 だから、これが「本当の自分」と決めつけるのではなく、周囲や超自我からの「あなたはこうあるべきだ」という声に押しつぶされそうな自分が、「どんな自分でいると楽か」というところが大切だと思います。
 まわりの「こうあるべき」と自分の中の「こうしたい」を対決させることなく、自由に「自分らしい」と思える状態を作っていくこと。それは自分を固定せず、様々な考えを受け入れ、いろんな形に変化し続ける柔らかいスポンジのようなものではないでしょうか。
 「本当の自分」を揺るがないものとしてまとめあげようとすればするほど、心は窮屈になってしまいます。
 スポンジが水を吸って膨らむように、一生をかけていろんな価値観を含んだ「本当の自分」を作り上げていくのが人生ではないでしょうか。
 そして、たとえ未完であっても、その過程のどれをとっても「本当の自分」だ、これも「自分の一面」だと肯定的にとらえることができたら、心は楽なんじゃないでしょうか。