風流人日記

医王整体院 院長のblog

分解と再構成

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 前回は「何かを一つやめると全体が変わる」ということを書きました。それが私の場合は「朝テレビをつけない」という簡単なことだったのですが、これは別にテレビだけでなくていろんなことに応用できる気がして、もう少し別の角度から書いてみたいと思います。

 まずその「一つやめると全体が変わる」ということのメカニズムについて考えてみます。
 よし!この際、気分一新全館リニューアルだ!などと大上段に構えなくても、何か例え一つの小さなことでもそれをやめることによって、全体が大きく変わることもあります。
 分子生物学福岡伸一さんが提唱する「動的平衡」という考え方があります。これは生物(生命体)は常に分子の分解と再構成を繰り返しながら秩序を保っている、という概念です。逆に言えば、固定して動かない、変化のない状態では生きていけないということです。
 私たちを取り囲む環境も変わり続けているのですから、人間もその変化に対応するには、壊しながら作り続ける状態を維持してバランスと秩序を保っているのです。
 これはまさに気功と同じ考え方です。川の流れと同じように気は本来、常に流れ動き続けているのです。流れが滞ると川が淀むように、気の流れの滞りこそが病気の原因だと考えられています。

 ところが人には欲があります。有名な理論として「マズローの欲求五段階説」というものがありますが、人間は生理的欲求→安全欲求→社会的欲求→承認欲求→自己実現欲求というように、一つの欲求が満たされると次の欲求を満たそうとする心理的な行動を表しています。
 詳しい解説はここでは省きますが、これを見ても人間の欲求はどこまでもキリがないように思えますが、最終的には自己実現を目指して成長していくのが人間だという考え方です。
 何を持って自己実現を達成したかは人それぞれだとは思いますが、成長していくためには一定の欲は必要なものかもしれません。
 しかしそれも行き過ぎると良い成長ができなくなります。例えば生理的欲求の一つである食欲をとっても、生命活動を維持するための必要最低限に止めておけばいいところを、ついもっとたくさん、もっと美味しいものをとなってしまうと、成長どころか体を壊してしまいます。足るを知らないと、欲は際限なく膨れ上がります。
 ガンディーも「獄中からの手紙」の中で、「世界に広がる悲惨な貧困も必要以上の所有に因るといえる。必要以上のものを所有するのは盗みである」と書いています。

 いま地球規模で問題になっているCO2の問題をとっても、先の福岡伸一さんは「CO2自体は外でも毒でもない。人間活動が作りすぎたCO2を他の生物や植物が吸収しきれない”滞り”が問題なのです」と言っています。この流れを滞らせているのが、人間の膨らみすぎた欲望・執着心なのかもしれません。
 仏教では執着が強いほど苦悩が深くなるといいます。

「朝テレビをつけない」から話がずいぶん遠いところに来てしまいました。ブレない確固とした信念も大切なのでしょうが、それは根っこの問題で、柳のように吹く風を柔らかく受け止め、逆らわずしなやかに枝を揺らす柔軟さと、必要以上のものを手放す勇気が必要なのでしょう。
「何かをやめる」は抱え込んでいた「何かを捨てる」ことでもあり、それによって常に新しい自分を保っていられるのかもしれません。